作意図といふものも、制作上の精力主義からきた現れにすぎなくて必ずしも反自由主義的作風とは断定できないものがある。
 藤田嗣治氏の「千人針」また同様である、この絵からは批判的なものを少しも求めることができないが藤田氏が描く千人針に何の情熱も期待も覗はれない様にこの作の様に現実もまた凡作であるといふ意味で藤田氏の作は写実性がある、藤田氏や野間仁根氏の作品は腹の底からの自由主義者の作風といふものが感じられ、熊谷守一、坂本繁二郎氏等の芸術への絶対的な奉仕者を加へて、若い出品者にとつてこの団体はさう不自由な研究場所ではないのである、その点新興団体としての独立展などは、その新興的なる理由の下にも却て封建的要素が多く、尚自由主義的傾向へ転落する危険性も多分に含まれてゐる。岡田謙三氏、島崎鶏二氏の両作風は二科に於ける両極を示すものとして、画風の上ではなくイデオロギー上の反撥期は当然来るものと見なければならないが、そこまでに至る間に両者のよきヒューマニズムの協力が二科の若い作家達を勉強させるだらう。
 横井礼一氏の「月と星」は二科に擡頭した新しい癌の証明であり、当然かゝる無反省な出品は何らかの型で拒否されていゝものだらう、浪江勘次郎氏の「漁業」「蒼天」は良き日本的作家たらうとして、少しく仕事を焦りすぎた感がある、その方向には充分な同感をもつことができるが、対象の認照?認識の方法には疑問少なくない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
文展日本画展望


 東洋画の特長である静穏な美も、最近の世相でともすれば[#「ともすれば」は底本では「ともすれは」]、狂気染みた動的な雰囲気に捲き込まれてしまひさうである、混沌美を造るには日本画の絵具は余りに聡明にすぎよう、洋画家のやうに時代と一緒に混乱できないところが日本画家の苦しい立場であり、またそこに自づと新しい開拓の分野もある、文展日本画は更生幾回転の後に我々の眼前に示した、新陣容であり、収穫である、文展の組織の混乱とは別に、画人の態度は自ら別なものがあらう。

△西山英雄――『内海風景』の表現の方法には山と樹木の描き方の矛盾がある、山の図案化を樹木に適用しきれなかつた度胸の無さが目立つ、汚点のやうな雲(或は汚点か)は画面をきれいに処理する勢力が足りない。
△浜田観――『初夏の花』距離感が不足してゐた、絵の具の盛り上げの効果は
前へ 次へ
全210ページ中174ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング