るが惜しむらくは科学的ではない。
△清水登之氏――『砂漠』あゝいふ色の黄色な砂漠などは現実にはない、あるものはあゝした色彩の『砂漠』といふ絵が存在するだけだ。
△磯部章三氏――『栄誉』よろし良心態度の前には敵なし。
△斎田武夫氏――『狐』は問題作である、私は主として色彩の触発性の点で、作者の苦心が充分に判る、外光派、印象派の色彩に対する理解が依然と新しさうな面つきをして絵の中に未解決のまゝで引ずりこまれてゐる、画家の多いのに、斎田氏は新しい光りに対する理解を示さうとしてゐることはいゝ、光の触発性に就いての私の意見は次の機会にのべたい。
△水野佳一氏――一応の理屈はもつてゐる、然しその理屈の未来性は決して新時代的なものではない、ケレン性を去れと言ひたい。
△須田国太郎氏――この作家は私は好きであるが、年毎に残念なことには、彼の態度の真面目さの如何に関はらず作者の矛盾ははつきりしてくる、現象主義者の当然陥ちこむ罪に陥ちこみ始めてゐる、観念主義者だけがもてあそぶ手法に二重映像といふものがある。須田氏もまたこゝに行きついた型である。
△浅田欣三氏――『同時的印象』と題して絵はシュルリアリストはこの程度の考へ方や技術をもたなければ問題にはならない、シュルリアリストは少くとも新しい傾向であるといふ意味で聡明でなければならない、その意味で浅田氏は聡明である、この程度の絵になると、私はこの絵だけで二十枚も三十枚も批評をしたくなる、私はこゝで少し理屈を言はして貰へば、浅田氏は印象といふものをどういふ風に理解してゐるかといふことを聞いてみたい、印象とは何か――印象とは人間の諸々の諸感覚のうちの一つの抽象であるといふことははつきりしてゐる、それではかうした抽象的なものに『同時的』とか『同一的』とかいふ命題を与へるといふことは正当であるかどうか、印象そのものの、同時性とは、同時に最も非同時的なものも内容として抱含されてゐなければならないといふこと、他のあらゆるものの差別性を肯定して始めて完全な姿になるといふこと、印象といふ抽象的感覚を二つ複合して辛うじて単一なものを表現するといふ考へ方が隠れてゐたら非常に消極的な画題や意図であると思うへるだらう、浅田氏の描法の一応の正しさは、細密描写の部分も、重要な手法として肯定してゐるといふ点であり、画面の種々の相関関係を見のがすまいとする態度は見受けら
前へ 次へ
全210ページ中160ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング