く、自然観察の上の精神的高さに於いて、極限的なものを示してゐる、各人はその究極的な意味に於て美を語り尽さうとするものであるが、熊谷氏の小品『牡丹』では現実の豊饒化が企てられ、『絢爛美』に相当する現実が描かれてゐる、他の二点は既に私の頭の中にある熊谷氏の作品といふ概念のものであつたために『牡丹』のやうな新しい感動を与へなかつた。
○野間仁根[#「野間仁根」に傍点]氏――良い意味での爽快性、悪い意味での職人性は、『夏の淡水魚』の作である、野間氏の懐古展で見た実力はこゝでは見られない。
○中村暉[#「中村暉」に傍点]氏――彫刻『少年道化』の良心的態度は支持されていゝものがある、作者の感情の美しさが無条件的に作品に現れてゐる、芸術家といふものは結局は精神上の叡智に依つて勝負けが決まるものであるから、中村氏のやうな聡明な行き届いた神経の下につくられた作品は最後的な勝に帰するだらう。
○渡辺小五郎[#「渡辺小五郎」に傍点]氏――『膝をつく女のトルソー』は中村氏と同系列のヒューマニティの作家であつて、塊りをやかましくいふ彫刻界では反対者も多いだらうが、私はかうした繊細な態度を支持したい、彫刻家が土方の一種であるとすれば渡辺氏のやうな脆弱な精神は軽蔑されるだらうが、そのモロさに美しさがある、ガンガンと叩きつけたタッチだけを見せつける作品は嫌である。
○河合芳男[#「河合芳男」に傍点]氏――『女人像』の神経は渡辺氏に較べては太い、然し全く反対の立場にあるものではない、感情の切断面の美しさともいはれるべきものがある、形式美への追従を避けて、もつと圧縮した現実といふべきものを見せてほしかつた、相当に高い技術をもつてゐるのであるから今度は技術を殺すことに依つて迫力がつく筈である。
○川崎栄一[#「川崎栄一」に傍点]氏――大作であつたが、肝心の距離感が喪失してゐた、テーマの上では難はなく、意志と恐怖と哀愁とは現代の三つのテーマとも言へるものであるが、川崎氏の群像はその時代的な象徴を語るものであつた。群像としての像のつながり関係も自然なまとめ方である。
○長谷川八十[#「長谷川八十」に傍点]氏――一見粗雑なやうに見えてゐて、案外デリケートな落着いた作品である、動的なものは、作者の感情の推移の表現であるが、動的な形態を巧みに固定化し制約して効果をあげてゐる。
○渡辺義知[#「渡辺義知」に傍点]氏
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