山の美意識としての色彩の性質はかなり美の一般性からは孤立的なものではあるが、一つの特殊性をもつてゐるといふ事ができる。
旺玄社の作品は総じて審査の上に、個々の作家の個性尊重の立場にある。それは良いことである。
光風会はすこぶる大作主義でまた一面に労作主義であるがこの光風会の大作、労作は、案外稀薄なものがあり、手堅さの点では旺玄社の画家の方がずつと真剣さがある、ことに光風会の陳列方法ときては、三段掛けで余りに無神経さを暴露してゐる、配列のルーズさは街頭の掛軸売でももつと光風会の陳列よりは神経を使つてゐるだらう。発表の自由は結構であるがあれでは困りものといへるだらう。
旺玄社評では、上野山、岩井の二作家を二人の問題作家として採りあげたから、こゝでは余り顔ぶれを挙げない。
甲斐仁代――色感も美しいし線も婦人にしては奔放なものがある。然し扱ひ方は決して新しいとはいへない。直感するところは『女の辛さは男の甘さにさへ負ける――』といふ感想が湧いた、もつと判り易くいへば、女は相当手固い突込み方をしてゐても、矢張りどこか男の画家にひけ目なものがあるといふ感である。たゞ甲斐仁代の色感に就いての理解は良い。
橘作次郎――「化粧する女」「鮒」私は後者に好感をもつ。この鮒の調子で作風を統一し、これで押していけないものだらうか、この境地でも相当面白い独創的な仕事の分野が開かれると思ふ。
佐藤文雄――良い幻想性が流れてゐる。たゞ物の明るさと暗さとに就いて不明確な態度がある。作者は影を無視するといふ境地にまで辿りつく勇気をもつてゐない。従つてその影暗い筆触にうるささが眼につく。
加藤保――物の配置の面白さに時代的な感覚があり、いつそシュルリアリスト的方向に進むか新しいリアリズムを追求して行つた方が独創性がでさうに思ふ。
青柳喜兵衛、水彩の千木良富士、陳億旺、牧野醇、梅沢照司、尾崎三郎は色々の意味で批評したいが紙数が尽きたので次の機会にゆずる。
光風会――では前にも述べたやうに配列のゴチャ/\で批評の食指うごかず、脇田利作の「三人」は稚気愛すべき作風で観者に好感を与へるものがある、「三人」では立てる青年の服装の赤さの強調も辛うじて画面に調和してかなり色彩上の冒険をやつてゐるが、良く全体の調子を保ち得た。たゞ陰影の理解や描法が常識的なものがあり画面を硬直させてゐる。
須田剋太――「群物」「カ
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