る。ただこの絵の動きに野心的なものがあつて好ましい。
靉光……といふ人の小品『裸婦』『馬』『人物』など何か錦絵風な筆法や『馬』では古来の『絵馬』を思はせる。ただこの人は線の稚拙さといふことに甘えすぎていけない。技術をもつてゐる人であるから、強ひて稚拙に描く必要がない。アンリー・ルッソーの稚拙さは、決して稚拙さを売り物にしてゐない切実さがあつて良いので文字の世界では、ノイリップといふ小説家があつて、ルッソー的素朴さに共通するものがあるが、技法の稚拙といふことは、たとへそれを方便とするとしても良くない児童画をよく画家が参考にしよく子供の技法をとり入れてゐる人があるが、大人のくせに、子供より下手に書く必要が少しもないだらう。靉光の場合のこの稚拙さは、主として作者の心理的なものからきてゐるが、心理的なものつまり世界観の問題としても、かなり意義がある。第一作者は若い人である筈だ、年齢的若さの究極的な発揮、この一本槍で押していつたら、年をとれば完成されるといふことになるのではあるまいか。この作者は心理的世界に於いて老いこみたがるのは良くない。『裸婦』の方がずつと屈托のない自由な作意が見えて良いし、この作家が自己の独特なものをつくりあげようといふ熱意には無条件に賛成である。
白日会展
笹岡了一……の真面目な態度は美しい。『二人の裸婦』は画面の裸婦を明るさ、つまり白で締めて効果を出してゐるに反して今一方の裸婦『無題』の方は暗さで画面を締めてゐる。画のやかましい技術の上で見たならば、あるひは前者の明るさで締めたものゝ方が絵らしいかも知れないがこの作家の将来の大きな路は後者にかゝつてゐる。この絵の陰影で締める効果はよくこの作家の哲学的質を生かしてゐる。線や形や構図に観るものに押しつけがましいもの『つまり特対性を』与へてゐない点が、この作家の偉さである。そして我々をこの態度にしたしませる、敷物や裸婦の描法に動的なものがあることは現実の動きと一致して見てゐて効果的である。ただこの作家に不明瞭なものゝ解決を『二人の裸婦』のやうな明瞭さに到達し解決しないで『無題』から一歩前進してほしい。
永井武夫……白日会の中から近代人は誰れかと選んだら私は永井武夫を指す、この近代性はちよつと他の展覧会にこの人ほどに、健康な近代性をもつた人は珍らしい。実際いふとこの位の近代性はすべての画家が
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