川特有の『夜半の濃霧』の中にまよひ出て、風土の立ち食ひをさして見たい。
 彼に遭つて親しくその風貌に接して、彼の好んでゐるアンリ・ルッソオと、彼の人格とを結びつけて私は考へて見た。
 のつそりと泥棒よりも静かに、私の玄関口を訪れた、髭もじやの彼の顔こそ私の第一印象は『愚鈍な聡明さ』を思はせ、彼操吉もまたこの熱情の税関吏から、野性といちめんグロテスクな味覚とを収穫したのではあるまいか。
 彼はまた、ブレヱクの幻惑に酔ひ、ゴッホの向日葵と燃焼し、ダビンチを愛敬し、グレコを恋慕し殊に私の愉快に感じたのは、操吉が、狐のやうに尖つた顔で絹扇をばた/\動かし、桃色と幻青《あお》との軽羅《うすもの》の女を、好んで描く女画家マリー・ローランサンに惚《ほれ》てゐることだ。
 彼の詩並に絵は、彼の恋人の作のやうに幽幻な妖気にみち/\たものである。
 私は彼の詩風を他人《ひと》がよく、千家元麿氏の流れをくんだ平明さを追ふものだといふ言葉をきくことがあるが、私はさうは思へない、千家氏からは不用意な素朴さの牽引力を感じるに反して、彼は細心な野性をもつてゐる、この点ではずつと象徴的である。
 その例として彼の絵を見ればすぐに判るだらう。
 大正九年出版の画集には、この象徴風な実感にあふれたもの、百号大の『若きクリスト』『踞まれるカイン』『苦悩者』『地より出る光』其他の作が発表されてゐるが、いづれも魅惑に富むものばかりで、殊にもつとも構想の雄大なもの『若きクリスト』(銅版はその絵であるが)の彼の友詩人中西悟堂氏の説明によれば『絵の中央には鍬をもてる弊衣のキリスト、足下《あしもと》に獣と鳥とがゐる、鍬は地を耕すことを意味し、獣と鳥とは地上の生物を意味し、しかもこの二種の動物は人間の顔をしてゐて、殊に獣の尻尾には星の燈火が燃えてゐる、絵の下段にはアーチ型に、男性と女性とが腕を伸ばして手を握り合ひ、女性は赤児のクリストを抱き男女の下のは日月星辰と冥府《よみ》の国とがある』かういつた風に豊饒な幻影は尽きることがない、彼れは暫らく滞在して絵を描いていかうといふが、今回は主として風景小前にひたり金銭は度外視の、彼れを真実に愛してくださる人へのみの『油絵頒布画会』をやりたいと思ふ、だが彼れは絵が一枚も売れなくても、彼れの詩情は肥満して帰京するだらう、だが出来ることなら彼れの為めに私は一点でも多く絵を売つてやり
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