呼ばれる人でも、その才能を危かしい状態で、磨滅させてゐる人もある。契月氏はよく自己の才能といふものを知つてゐて、その才能の機能にもさまざまの種類があり、自分はかういふ才能のはたらきの仕方をさせることが、自己の立場だといふ自覚がある。今世間の一部では契月の武者絵は、何となく弱い感じだといふ批評もある。
 成程さういはれてみれば『清水』でも『八幡太郎』にしても、なにかしら弱々しい武者を描いてゐる。その弱さの感じから言へば、鎧を着てゐたり、弓をもつてゐたりしてゐても、まるで非戦闘員のやうな弱々しい。むしろ女性的な武者を描いてゐる。だから毛脛だらけの雲助のやうな美術記者や、美術批評家などには気に入る筈がない。しかし契月の武者の『薄弱さ』こそ批評の中心的なのである。
 何も契月が弱々しい武者より描けないわけはない筈だ。また過去には『垓下別離』のやうな髯ツラの武人も描いてゐる。武者絵の場合その人物の手が、たつたいま血を洗ひ落してきたといつた描き方許りを指して、武者絵の定石的なものだといふ解釈の仕方のなかには、少しも画論的意味は成り立たないのである。契月はその大体ならば、血で洗れた手を描くことを常識的な手法といはれてゐるものを、『交歓』に於いて、互に武人同志、握らせてゐるのである。この『交歓』といふ武者絵ほど、武者絵の解釈に新生面をひらいたものはちよつとあるまい、武人といふものは、今も昔も戦争をすることをもつて職業としてゐることは変りはないであらう。しかしこの人達は、のべつまくなしに戦争をしたり、殺し合ひをしてゐるわけでもあるまい。菊池契月氏の顔の中には、戦争をしてゐる武人よりも、戦争をしてゐない武人の方が、より多く占めてゐるやうである。もつと強い言ひ方をすれば彼は戦争をしない武人が好きにちがひない。また我々の日本の過去の歴史のある期間には、たしかに戦争をしない武人の時代も存在したのである。彼は武人画で画中の人物を、時に戦はさうとする本能が働くことがあるにちがひないが、彼のもつてゐる精神的なものがそれをさせない。そこで戦ひの後の武人が、その疲れを清水で医し、交歓しまた鎧の修繕をやつてゐる武人の絵にしてしまふのである。『ゆふべ』とか『南波照間』といつた傾向の作には、造形的な意図がはつきりみえてゐるため、半分の人間性と、半分の絵画性とがあつて、絵の出来は完璧であるに拘はらず、綜合的な
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