、頭が自由主義だが、足の行動が伴はないといふわけさハハハハ』
『博士、アンコーの群が泳いできましたよ』
『み給へ、あいつらは蛸のやうな頭は持たないが、そのかはり自分の身の巡りを照らす発光器をもつて群集行動をしてあるける悧巧ものだ、ところで助手君はこの蛸の職業を知つてゐるかね』
『職業といひますと、深海に於ける蛸の社会的地位ですか、たとへば官吏であるか、商人であるかといつた――』
『さうだ、彼は私の観察では、小説家だと思ふね、ほらよく注意して、彼の足の一本に、特別大きなイボのあるのをみつけ給へ、つまり彼は平素これにペンのやうなものをはさんで、ものを書いてゐた職業にあつたのだ、つまりペンダコと認めたいね』
 そのとき海底に異常な出来事がおきた、博士は衝動的に、手をもつて助手を制し、それから蛸を驚ろかせないために、照光器の光りをうすくし、潜水鉄球の位置を移動し、蛸に接近し、じつと二人は眼を凝らすのであつた。
 蛸はそのとき何やら小さな棒状のものを、海底から拾つては、傍のおそろしく大きな学名マクロシスケス・ピリフヱラといはれてゐる海藻、一つの根で六百六十尺にも達するものその茎の一部へ蛸はしきりに、小さな棒を拾つては、忙がしさうに押してゐるのであつた。
『あッ、博士、彼は印刷活字でしきりに押してゐます、どうしてこんな処に活字の字母など』
 博士は微笑した。
『あわてることはないよ、彼は海の自由主義者である、しかし問題はどうしてかういふ深海に活字があるかといふ疑問だ、おそらく何処かの都市で事変でもあつて、新聞社の活字が大量に河に投げ込まれたのだらう、それが海流の関係でここまできた、彼がいまこゝで拾ひ集めて何か記録してゐるのだらう』
 博士と助手は固唾をのんで、傷ついた蛸がせはしげに海藻の茎に押してゐる文字を読みとらうとした、そこには斯う印刷されてあつた。
『あワレな自由しゆ義者の神経スイジャクをおたスけ下さい』

  芸妓聯隊の敵前渡河

 燈ともし頃、大森の料亭『資本』に、三人組の定連がやつて来た。
 読者諸君でもし料亭の名が『資本《しほん》』など、をかしいとお思ひになつたとすれば、それは諸君が野暮天であり、少くとも粋な御仁でない、玄関で下駄をぬぐのを中止して、もう一度表門へ引返し、軒燈の文字を見あげて欲しい、そこには『すけもと』と書かれてある筈だ、傍の門柱には、この家の主人の名が『資本主義《すけもとぬしよし》』とあることが判るであらう。
 着流し一人、洋服二人の、定連三人組の素性に就いては、今から三年前、この人々が始めて遊びに来た頃にさかのぼらなければならぬ。
『ちよいと、旦那、あなた○○さんでせう』と十六歳の半玉|雛太《ひなた》に看破されてしまつた。
『うへつ、当つちよる、烱眼ぢやわい、どうして判つたか、言つて見い』
 と着流しの客は、素直に兜をぬいだ、半玉は誇らしさうに白眼づかひの微笑をもらした、無邪気な半玉は、○○の膝の上で、右手で客の首を抱へ込み、コンパクトの鏡を、客の鼻先に突きつけるのであつた。
『ほら、旦那のこゝに、白い条が額にあるでせう、皆さんも御覧よ、これが露満国境なの、髪の毛のある方は森でロシヤだわ、顔の方は満洲国でせう、耳の方が蒙古でせう』
 雛太は客の額を、可愛い指でつゝきまはした。
『もうよいよい、白状する、いかにもわしは露満国境から帰つてきた許りぢやでな、帽子の日焼がまだとれんで、すぐ○○と判りをるわいハハハハ―』
 客と芸妓達は笑ふのであつた。
『然らば小生の職業を当ててみい―』とその時一人の洋服の客はいふ。
『あら、旦那は、ブルジョアでせう』
『ブルヂョアはよかつたね、露骨な奴だなあ、いかにもさうだよ』
 雛太はチラと姉芸妓に眼をやつてから
『姉さんが教へてくれたのよ、洋服のチョッキの釦が掛らない位、肥へていらつしやるお客はブルヂョアだつてさ―』
 なるほど客はチョッキの下釦が三つもはずれてゐるのであつた。
『いかにも、わしは肥へてゐるでのう、近頃の女の子は眼が利くわい』
 製鋼会社社長氏と、今一人の官吏氏とは、太つ腹に哄笑した。
『芸者諸君、さう喰つて許りをらんで、何か余興をやらんか、陸軍記念日の兵卒達の余興より、おぬし等は本職だから、うまいぢやらう、槍さびがいゝぞ』
 と客は芸妓達に所望するのであつた、爾来この三人組は『資本』にやつてきた。
 来る度に、着流しの客の額の日焼の跡ははつきりし、他の客のチョッキの釦は、かゝらなくなつたやうだ。
『おい、芸妓ども、列べッ、敵前渡河ぢや』
 芸妓達はならび、三味線を掻き鳴らし、黄色い声で歌ひ出した。
『浅い河なら―膝までめくる』
 選ばれた踊り子雛太は、しぶしぶ立つて舞つた、兵士が敵前の河を渡るしぐさをするのであつた。
 歌の文句は浅い河から、だんだんと水の深
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