た》を着てその物静かな舞踊をよした。

    (三)

 二人の生活には、弾力のないゴムのやうな、救ひのない一条の脈がつらぬかれてゐるやうに思はれた。
 女もまた、救ひのない脈を、内心深く感じ、これを怖れてゐるらしく、青丸のよだれかけに赤三角に黒い縁取りの衣匠を、念入りに縫ひ取つたものを作つてやつたり思ひがけない、かはつた美しい草花を、私の汚れた机の上の、花瓶に、不意に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]してをいたり、電燈の球をふいて(彼女が球をふくなどゝいふことは、実に稀であつた)急に室内を明かるくしたりして二人の感情を朗らかに、更新させようとする、色々の苦心も、まざ/″\と感じられた。
 だが私は、外出から帰り、青丸の新調のよだれ掛けをほめる前に
 ――青丸の額の、禿あがり具合まで、俺にそつくりぢやないか。
 と、まずしひて、不機嫌に憂鬱な眼となつてから、青丸のよだれ掛けを賞めた。
 あやしい老人の精気の凝つた、南瓜畑は、日中の晴天のもとに、その翼のやうに、重い大きな葉をひろげた。
 ――若さの奪略のために、植た南瓜畑だ。
 と、この茂みのどこかで私にむかつて語つてゐるやうな、幻想にも陥つた。
 ――少し神経衰弱の気味ではないだらうか。
 私は心にかうつぶやき、白地の浴衣に着替へ、することもなしに机の前に、気むつかしい気持ちで坐つた、青丸と妻とを、その前にすゑて、理由のないことを、長々としやべりたてゝも見たい惨忍な気持ちになつた。

 家根《やね》に巣をつくつてゐた、雀の子が、ある朝、天井裏に迷ひ落《おち》、チイ/\悲鳴をあげて、天井板をあるき廻つた、私はその逃げ場をつくつてやるために、天井板を一枚はづしてをいたが、雀の子は明かるみを発見して、果してそこからパッと室内に舞《まひ》をりた。
 ――すつかり、障子をしめきらなければ逃げてしまふぞ。
 ――茶箪笥のかげに入りましたね、こつちの方に顔を出しましたよ。
 この出来事のために、私達は騒ぎ立て、バタ/″\逃げまはる雀の子を室中をひ廻し、妻もまた近頃にない、朗かに晴れた顔をした。
 捕へた雀の子の足に、もみの布をゆはひつけて放してやつたが翌朝歯を磨いてゐた妻が、不意に頓狂な声をたてた。
 窓際の柵の上に、前日捕へた雀の子が、もみの布を、ぶら/″\さげてとまりしきりにあちこち見まはしてゐたからだ。
 ――あんなものを、足に着けてゐては窮屈だらうな。
 私もかういつて妻と声を合せその雀の様子がおかしいといつて笑つた。不意に私達の暮しの背後から、又は横合からでも、思ひがけない処から思ひがけない物が、飛び出してくると、必ず私達の生活が晴《はれ》々と、あかるくなるに違ひないことを私は確信した。私はこれを私達の『奇蹟』と名づけた。
 ぼんやりと、その奇蹟を待ちうける気持ちは、私達夫婦にとつては、ずいぶん久しいものであつた。だがその霧のやうな捕へどころのないものは、大股に、また小きざみに、私達の知らぬ間に住まゐの傍を通りすぎてゐるかのやうに思はれた。

    (四)

 隣家の妻君が朝飯の最中純白な西洋皿に、体裁よくならべた泥鰌の蒲焼を盛つたものを手にして裏口に現れた。
 ――奥様、今朝は面白うございましたよ。
 かういつて、隣家の妻君はその皿を意味ありげに差し出すのであつた。
 ――まあ、おいしさうな、これは御馳走さまです、始終いろ/\戴いてばかりをりまして。今朝なにか御座いましたのですか。
 ――それが騒ぎなんですよ。前の溝に泥鰌が押寄せてきましてね。近所ではザルをもちだしたりして。
 と隣家の妻君は語るのであつた。
 その朝にかぎつて日頃早起きの私達は寝坊をしたのであつた。
 そういはれゝば、私は夢うつゝの中に、人々の立ち騒ぐのを聴いた。チャブ/\と水を歩き廻る気配や、女の声や、子供のはしやぐ声を玄関先にきいた。然し二人の床を離れた頃には、これらの物音は消えて、ひつそりとした朝であつた。私の住居の前一間と隔てずに幅三尺程の流れがあつた。小川といふよりもいつも濁つてゐたので溝といつた方が適当と思はれた。この流れは水田の排水口につながれてゐるので、この溝は水がから/\に涸れたりいつぺんに増水して溢れたりした。前夜の豪雨に田の水があふれ一気に田の中の泥鰌をさらつてこの溝に押出してきたものらしい。隣家では、一家族総出で米揚げ笊を持ちだして二升位もとつたといふことであつた。
 隣家からの泥鰌の蒲焼を食卓のまん中に置いた。
 その香気のあるおいしさうな匂は私の鼻をかんばしく衝いた。
 ――お前は、ないことに今朝は寝坊をしたね。
 私の妻に対する言葉は表面穏かであつたが思ひがけない幸福をとり逃がしたやうな、腹の何処かに滑稽な悲しみに似たものがこみあげてくる
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