た。
 このカーテンを腰に捲くと横綱の意匠廻しに見え、斜め肩にかけると立派な僧正に見え、胸にもつてくると飾りのついた軍服にもみえるやうな性質をもつたカーテンだ。彼はそれを首にかけて歩るき続けたが、巡査講習所から昨日出た許りの新参の警官でも彼の胸を飾つてゐるものに、異様を感じないものはあるまい。彼は間もなく捕へられた。調書の上では彼はカーテンを盗んだことになつてゐるが
『俺はけつしてカーテンなど盗んだ覚えはない、カーテンの奴が、俺の首へひつかゝつてきただけだ―』と彼は心の中で調書を強く否定しつゞけた。

  掏摸と彫像

『世間ではよく、トンとぶつかられたと思つた途端に、電光石火に財布を掏られたなどといつてゐますが、嘘ですよ、いくら職業《しやうばい》でも、さうはいきませんよ』と彼は得意で掏摸にも充分な研究的態度が必要なこと、生優[#「優」に「ママ」の注記]しい職業ではないことを力説するのであつた。
 この掏摸も監房ホテルに入つて来たところをみると、何か彼がいふ研究的態度に欠けたところが、彼自身にあつたに相違ない、それは大いにあつた、××デパートの何階の何番売場の何処の棚にある大島絣は、場違ひものであつて、本場の大島絣は何階の何処そこにあると、このデパートは彼にとつて自分の家のやうに品物の置場所をよく知つてゐた。
 或る日六階に上つて行つた、××県産品陳列会が特別に催されて、反物、陶器、貴金属類がならべられてゐた、掏らうといふ気持もなく、ぼんやりと売場の間を歩るいてゐると、其処に彼をたいへん怒らしたものがある。
『こいつの面《つら》は、何といふ傲慢そのものだ』
 彼はその品をみるとムラムラと反抗心が湧いてきた。それは一見純金に見え、実はメッキに違ひない高さ一尺程のナポレオンの全身像であつた。胸を張り、上眼勝に遠くを睥睨し、強く地の上に長剣を立てゝゐる容子は天地自然や人間の運命を一人で背負つてゐるやうな不遜さがあつた。その彫りの硬さが良い出来ではなかつたが、その彫りの硬さや拙さが却つて人間の意志を忖度しない、たゞ立つてゐればいゝだけの置物の境遇にふさはしい、頑固さを表現してゐた。彼は妙にこの彫像に腹が立つたので、慾得を超えて、本能的にそれを奪らうと心にきめた。
 計画的な最初の手を彼はそつと彫像に触れたが『これはいけない』と直感した。
 彼と横斜めの位置に一人の男が立つてゐて、確にデパートの監視員にまちがひなく、然もじつと彼の挙動に注意してゐた、彼はその日は帰つた。
 一晩中彼の頭の中の策戦本部は活動してゐた。翌日彼は売場にやつてきた、意外なことだ、前日にはなかつたのに、立像の台に三本の針金がかけられてゐて、堅く陳列台にとりつけられてゐた。
『ははあ、俺がねらつてゐるのを感づいたな―』
『よろしい、こつちだつて手はあるさ―』
 彼はぷいと子供のやうに不機嫌になつてその日は帰つた。
 翌る日、彼はデパートの地階金物売場で、小さな道具を一つ盗んで、二重マントの下に隠して、六階にあがつて行つた。
 彼はマントの中から、盗んできた針金切断用のペンチを出して、立像の台の針金を一本だけ切つて、その日は帰つた。翌日も一本、翌る日も一本切つた。彼はどうして一度に三本の針金を切らないのだらう、仕事は毫末も急ぐ必要はなしと彼は考へたからで、三日かゝつて切つたことは、針金さへ彫像の台についてゐれば、その一部が切断されてゐても安心してゐるといふ、間抜けな監視者に油断させるためでもあつた。また殆んど衆[#「衆」に「ママ」の注記]人監視の中のこの針金切断の仕事は、瞬間的である必要があつたし、遂あせつて二本、三本を切つて立像の前で時間をかけて失敗をすることを極度に怖れたのであつた。
 四日目最後の決行に出かけた。そして至つて容易に台の上のナポレオン立像は、彼の二重マントの袖の下に隠された。
『やい、ナポレオンの立像奴、貴様の運命は、俺の手の中にあるんだ、家へ帰つて俺は貴様を鋳潰してやらうわい』
 金の立像を抱へて昇降機《エレベーター》にのつたが、その下降につれて陶然と掏摸といふ職業的な恍惚感にひたつた。六階から下りて、四階で沢山のお客がエレベーターに鮨詰めに入つてきたが、不幸な事に彼の二重マントが込み合ふ客の体に揉みあげられて、マントの袖がめくりあがり、其処から燦然として立像が現れた。人々の視線が、ハッとそれに注がれたとき、彼は心に『失敗《しま》つた』と叫んで素早く立像を持つてゐた手を離してしまつた。
『掏摸だ――』と叫んだ者が一隅にゐて、その男の腕が乗客の肩の上から、彼の襟首にのびてきた。彼はその男が前日自分を見詰めてゐた監視人であることを知つて慄然となつた。乗客は混乱に陥り、エレベーターの底を、ナポレオンの立像はゴロゴロと音をたてゝ走りまはり、人々の足がそれ
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