た時間だけ這ひまはらす、之等の下等動物の行動は、箱の底に敷かれた科学的な媒紙に虫の歩いた足跡がそのまゝ白く記録される、暗黒中の梅毛虫は、ただぐるぐると円を描いてゐた。ある虫はイナヅマ型に光りを求めて足跡を媒紙の上に残してゐた。そして梅毛虫より、はるかに感受性の鈍な愚かしいヨトウムシ、こ奴は、平素地下又は植物の茎の中に潜入してゐるのだが、より下等なこの動物が、意外にもいかにも自信ありげに直線的にすすんでゐるのだ。
 暗黒中に今度は光線を一ヶ所、又は二ヶ所あるひは交互に点滅させてから、その光りを求める行動を実験するのだ。
 博士は黒板に倚りかかり、長い吐息をしてからほそぼそと呟いた。
『ところでどうぢや、わしの負けぢや、インテリゲンチャ虫は、光の中に開放されても光刺戟によつてかへつて行動が抑圧されて、同じ処をぐるぐるまひぢや、わしは敏感な知識人だ、だがどうぢや、わしの学説はぐるぐる舞をやつてゐる、光、希望、直線、暗黒、宿命、ぐるぐるまひ、あゝわしの人生はまさに後者ぢや』敗北者野村博士は突然激しく、白墨を持つた手を痙攣させた、何か博士の体に異状が起つたにちがひない、博士は遠くに、夢のやうに笑声をきいた、片足の膝頭は弾丸のやうな音をたてゝ床板にうちつけられ、博士のからだは脆く崩れた。

  深海に於ける蛸の神経衰弱症状

 有名な潜水鉄球に依る探海家であり、且つ医師であるロバトスン博士は、八百米の深海に助手と共に降りて行つた。
 前面硝子を通して、一尾の奇怪な軟体動物を発見した、博士は早速助手に命じて、鉄球内から照光器の光りを、この動物にむけ、照らし出させ、しきりにこの深海動物の動作を視察したのであつた。
 この動物は、一個の頭と四本の足とをもつてゐて、何か枕様の物体に、その頭をのせ呻吟してゐる風であつたが、博士はこの動物が蛸であるといふ見極めをつけるのに、かなり長い時間をかけなければならなかつた。
『博士、蛸にしては肢が四本よりありませんが――』
『××助手、彼奴には立派に八本の足があつたのさ、よく注意してごらん、ほら根元から千切れた痕が四ヶ所あるだらう』
『ぢやあ、何かに喰ひ千切られたわけですか』
『さうだよ、鱶か何か鋭利な歯をもつたものにねつまり深海に於ける階級闘争に負けたのだよ』
『ほう、そして何故あゝ身悶へして転んで許りゐるのでせう』
『つまり頭が大きすぎるのだよ
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