。出獄した彼はこの考案を金にしようとしたが、思ふやうにいかず、前科者の故で職もなく、再び生活に窮した彼は、癇癪を起し、彼にとつて最後的な生活方法である忍びの術に還つたのであつた。
 三犯目の年貢を収めて、彼はつい昨日刑務所を出た許りであつた、彼の刑期中に誰の手からともなく、彼の考案とそつくりのブリキの舟が縁日に売り出されてゐるのを、彼はいま発見したのである。
 盥の中の三艘の舟は忙がしさうに走り、折々船端を打ちつけ合つて、盥の岸に停つた、夜店の玩具売りの男は、一刻も安息をゆるさないといつたふうに、指で邪険に舟を岸から突き離した。
 彼もまた突き離されたやうに、夜店の人の群から離れて歩きだした。
 今度も刑期中に彼は三種の考案をしてきた、一つは『自動食器洗ひ』で他は『地引網の浮子《うき》の改良』と『魔法の折紙』と彼が名づけたものであつた。魔法の折紙とは、一つの基本的な折方から出発して、様々の形に三十七種まで麒麟やら、扇やら、機関車などに変化するもので、彼は獄中で差入れの塵紙を根気よく折り返して考案したのだ、発売したら子供達が喜びさうなものであつた。『自動食器洗ひ』は、ハンドルを廻すことで、沸騰した湯のいつぱいな円筒の中で食器は洗はれて飛び出す、すべての家庭婦人、殊に炊事の為に、荒蕪地のやうに荒れ、ヒビ割れた手をもつてゐる女中達が、彼の発明品が世に出ることで救はれることを、彼自身信じてゐた、然し彼は之等の有益無益の発明考案を、商品化することが出来なかつた。
 社会は――刑期が満ちて当人の罰が終つて仕舞へば、全然もう放うたらかして仕舞ふ、即ち、当人に対してその最高の義務の生じようといふその瞬間に、全然彼を見捨てて仕舞ふとオスカア・ワイルドが受刑者を哀れんだ言葉があるが、彼も一歩刑務所を出るや否や、社会の義務は彼を離れた。
 途端に彼の住所へ顔見知りの刑事が『おゝ居るか――』と訪れてきた、彼は更に新らしく監視されるといふ義務を負はなければならなかつた。
 彼はいま懐中から手帳を取出して、歩きながら書いてある事柄を調べ始めた、手帳には『お召羽織二十歳位花模様』『男帯綴織風のもの』『三十五六歳向ショール茶色』『上等ウヰスキイ三本贈答用』などと書かれてあつた。
 彼はこれらの品物を、デパートの各階から選択して盗むのである、彼の出獄を歓迎するものは、彼の盗品を喜んで引受け金に代へて
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