家庭にとつて『摺鉢』や『大根おろし』よりも不用な物。愚にもつかない信仰であるのだ。
私は不意に形容の出来ない笑ひがこみあげてきた、次に滑稽な不安が頭をもたげた。
凡太郎の次の言葉。突然凡太郎が『マルクス』などゝ叫びだしたなら、私達夫婦はどんなに吃驚するであらう。といふことであつた。
その時には、私は観念し、凡太郎を蜜柑箱に入て、河に流してやるばかりだ。
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泥鰌
(一)
夏に入つてから、私の暮しを、たいへん憂鬱なものにしたのは、南瓜《かぼちや》畑であつた。
その葉は重く、次第に押寄せ、拡げられて、遂に私の家の玄関口にまで肉迫してきた、さながら青い葉の氾濫のやうに。
春の頃、見掛は、よぼ/″\としてゐる老人夫婦が、ひとつ、ひとつ、南瓜の種を、飛歩きをしながら捨るやうにして播いてゐた。
数年前まで、塵《ごみ》捨場であつたその辺は、見渡すほど広い空地になつてゐて、その黒い腐つた、土塊は肥料いらずであつた。
セルロイドの玩具や、硫酸の入つてゐた大きな壺や、ゴム長靴や肺病患者の敷用ひてゐたであらうと思はれる、さうたいして傷んでもゐない、茶色の覆ひ布の藁布団などに、老人夫婦は十日間程も熱心に鍬をいれてゐた。
鍬が塵埃の中の瀬戸物にふれると、それは爽かな響をたてた。
老人達の仕事を、書斎でじつと無心に眺めてゐる、私の感情をその瀬戸物にふれる音は、殊に朗かなものにした。
種ををろしてから、三月と経たないうちに、老人夫婦は、私の書斎からの、展望をまつたく、縁[#「縁」は「緑」の誤植か]色の葉で、さいぎり、奪つた。
夏の地球は、暖房装置の上にあるかのやうであつた、老人の播いた南瓜の種も、みごとに緑色の葉をしげらし、この執拗な植物は、赤味がゝつた黄色の花をひらいた。
その花を、たくましい腕のやうな蔓がひつ提《さげ》て、あちこち気儘にはひ廻り、そして私達の住居を囲み、私達夫婦の『繊細な暮し』を脅かしはじめた。
この南瓜畑に、取囲まれながら私達は、結婚後三年の夏を迎へた。
妻は、シンガーミシンを踏むことが巧であつた、青丸《あをまる》には、いつもあたらしい布地に、美しい色糸でさ/″\ま[#「さ/″\ま」は「さま/″\」の誤植か]な図案の胸飾をした、涎掛を、つくつてゐる。
妻の愚鈍さに、二年程前からつく
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