、茂作を憎まない者がありませんでした。
 茂作は、それほど怠け者で、あばれ者でありました。
 或る日、茂作は村の人達が漁にでかけてゐるのに、自分は家の中で、寝床から半身を乗り出して、いかにもなまけ者らしい顔をしながらおいしさうに長いきせる[#「きせる」に傍点]でのんきに煙草を吸つてをりました。
 すると不意に、茂作の家の屋根のあたりでそれは/\大きな声で、つづけさまに、二つ三つ嚏《くさめ》をするものがありました。
 茂作はあまりだしぬけでありましたのでびつくりいたしました。
『これは大変だ』
 かう言つて茂作は、むつくりと飛び起きて戸外にでてみました。それは茂作は、きつと風邪をひいた泥棒が、屋根の上に忍んでゐると思つたからでありました。
 しかし屋根の上には、嚏の主はをりませんでした。あたりをぐるぐると見廻しましたが、静かな寝しづまつた夜でありました。
 それは美しい月夜でありました。とほくの沖合には、ずらりと列をつくつた、烏賊釣舟の燈《ひ》が、ちやうど電気玉をならべたやうにみえ、そして、茂作の屋根の上のあたりの空には、きれいな金色の尾をひいた箒星《はうきぼし》がひとつ、きらきらと光つてをりました。
 茂作は、ぶつぶつと不平を言ひながら家の中にはひつて、またごろりと横になつて、煙草を吸ひました。
 すると翌晩また大きな声で、茂作の家のうへで、つづけさまに嚏をする者がありました。
 茂作は、自分の家の屋根を念入りにながめましたが、やはりその声の主の影も姿も見えません。
 そして前夜のやうに美しい月夜で、とほくの沖合には烏賊釣の燈がならびきれいな金色の尾をひいた箒星がひとつ、茂作の家の空に、きらきらと光つてゐるばかりでした。
 その翌晩も、翌晩も夜になると茂作の家の屋根のうへで、続けさまに、大きな大きな嚏がきこえましたがその声の主は見えませんでした。
『なんといふ不思議なことだ』
 茂作は少々うす気味が悪るくなつてきました。

    二
 しかし大胆な男でしたから、どうかしてこの不思議な嚏の主をみつけてやらうと考へましたので四日目の晩から屋根の上に布団をしいて、徹宵《よどほし》張り番をしながら寝ることにきめました。
 ちやうど七日目の夜のことでした。
 茂作が屋根の上の寝床でとろりと、まどろんだと思ふころ、ふいに頭の上で、つづけさまに嚏をする者がありました。けふこそはと待ち構へてゐた茂作は、ぱつと大きな眼をひらきました。
 とたんに茂作は、あやふく屋根の上から転げ落ちるほどにびつくりいたしました。
 茂作のつい頭の上に、白い雲にのつた美しい天女がうすもの[#「うすもの」に傍点]の袖を風にひるがへしながら、大きな大きな嚏をつづけさまにしてゐるではありませんか。
『これは、これは美しい箒星のお姫さま』
 茂作は思はず、雲の上の天女をみあげながら叫びました。
 それはその美しい天女がふさ/\とした金の毛の三|間柄《げんえ》もあるやうな長い箒をもつてゐましたので、すぐに箒星のお姫さまと思つたのでありました。
 茂作の思つたやうに、天女は箒星であつたのです。
 箒星は、屋根の上の茂作の声に、びつくりして雲にのつて、たかく空にのぼりながら、
『わたしは、煙草の匂ひが嫌ひです。』
 かう言つて、雲の上でつづけさまに大きな嚏をいたしました。
 そして長い柄の金の箒を、上手に使ひながら夜の空を、きれいに掃き清めだんだんと、遠くの空に行つてしまひました。
 箒星の天女の美しさに、茂作はしばらくは、魂のぬけた人のやうに、ぼんやりと屋根のうへに立つてをりました。
 その翌晩、茂作は背中に大きな模様のある大漁祝に、村の人から貰つた、新しい浴衣《ゆかた》を着て屋根のうへにあがりました。
『箒星のお姫さま、どうぞ茂作のお嫁さんになつて下さい。』
 茂作は、大きな掌を空にささげながら、箒星の通るときかう言つて、お願ひをいたしました。すると箒星は
『わたしは、煙草の匂ひが嫌ひです』
 と言ひながら、つづけさまに大きな嚏をしながら、夜の空を掃き清め、だんだんと遠くの空に行つてしまひました。
 翌朝茂作は裏の竹林から、長さ二間ほどの太い竹を伐つてまゐりました。
 その竹の節をぬいて長いきせる[#「きせる」に傍点]をつくりました。
 茂作は箒星が自分のお嫁さんになつてくれなかつたので腹をたてたのでした。そして箒星を煙ぜめにして下界に落し金の箒をうばひとつて、その金の箒を古道具屋に売つてお金持にならうと思つたのでした。
 その夜茂作は、長い竹のきせる[#「きせる」に傍点]に、どつさりと刻煙草《きざみたばこ》をつめこんで、箒星のお姫さまの通るのをまち構へました。
 箒星の通りかかつたとき、茂作は用意の竹のきせる[#「きせる」に傍点]で一生懸命になつて、煙を空にふきかけました。
 箒星のお姫さまは、つづけさまに二三十も雲の上で嚏をいたしましたが、苦しまぎれに、自分の乗つてゐた白い雲の上から足を踏みはずして、あつと言ふまに海のまん中に、ざんぶとおちてしまひました。

    三
『しめたぞ、箒星が海に墜ちた。』
 茂作は、こをどりして喜びました。
 さつそく小舟にのつて、茂作は海へ乗りだしました。そして箒星のをちたと思ふあたりに錨《いかり》ををろして、すつ裸になつて、海の中にもぐりました。
 茂作は、深い海の底を、あつちこつちと泳ぎながら探し廻りましたが、金の箒はみつかりませんでした。
 みつからないのも道理です、箒星の天女だけは、まつさかさまに、海の中におちましたが、天女の手にもつてゐた金の箒は雲の上に残つてゐて、雲は箒をのせたまま、とほくの空に流れて行つてしまつたのでした。
 さうとも知らず茂作は、海の底を、血眼《ちまなこ》になりながら金の箒を探してをりますと、ふいにあつちこつちの海草のなかから、星のかたちをした赤い色の魚とも虫ともつかないものがたくさん現れてまゐりました。
 そして海の中の星のやうに、きらきらと光りながら、
『恨めしい茂作さん、わたしを天から墜《おと》したね。』
 かう言つて泣きながら、その星のやうなものは、茂作の背中にぴつたりと吸ひつきました。
 茂作はびつくりして水面にうかびあがり、船にのつて逃げ帰りました。
     *
 村の人達は、その夜いつものやうに艪拍子も賑やかに、沖の釣場にむかつて漕ぎだしました。
 かがり火を昼のやうにあかるく、船腹をづらりとならべて、鼻歌をうたひながら釣針を海に投げました。
 すると油のやうに静かな海の面《おもて》が、急にざわざわと、さわがしくなつてまゐりました。
 そして、それは数知れないほど、たくさんの、漁師達が、ついぞ見かけたことのないやうな、名もしれぬ不思議なものが、水面で星のやうにきらきらと光りました。
 そしてこの星のやうな形のものは、漁師の投げた烏賊釣針に、われさきに争つて喰ひついてあがりました。
『恨めしい茂作さん、わたしを天から落したね。』
 かう言つて、その星のやうなものは釣りあげられた船の板子の上で、身を悶えてころがりながら、さめざめと泣きました。
 漁師は吃驚《びつくり》して尻餅をつきました。
『わしは茂作ぢやない、茂作は陸《をか》にゐるよ』
『これは大変だ、人違ひだ、茂作ぢやない』
 と漁師達は、釣竿を海に投げすてて陸《をか》に逃げかへりました。
 そのことがあつてから、漁師達の釣針に喰ひつくものは、この星の形をした赤い気味の悪い海星《ひとで》ばかりとなつていつぴきの烏賊も釣れなくなりましたので、村はみるかげもなくさびれてしまひました。(大14・11愛国婦人)

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親不孝なイソクソキ

 けだもの達も、鳥達も、大昔は、たつた一人の母親に、養はれて居りました。
 母親はたいへん皆を優しく、同じやうに可愛がつて居りました。
 ある日、小川の流れた野原に、たくさんの鳥達が集つて、さかんにお化粧をはじめました。烏はせつせと藁で、自分の体をこすつて、黒くつや/\と磨きますし、山鳩は小川の浅瀬で、しきりに体を洗つてゐました。
 其のほか鴨や、山鳥や、シギや、岩燕《いはつばめ》や、鴎や、あらゆる鳥達が、小川の岸に集つて、口の周囲《まはり》を染めたり、羽を洗つたり、白粉をつけたり、紅をつけたり、手をそめたり、熱心に化粧をしてゐるのですから、その賑やかなことといつたら、ちやうど海水浴場へ行つたやうな賑やかさでした。
 かうした騒ぎの最中に、一羽の鳶の子が、転げるやうに飛んできて
『みなさん。大変ですよ、母さんが急にお腹《なか》をやみだして、悪いんですよ』と告げました。
 鳥達は母親の危篤と聞いて吃驚《びつくり》して、あわてて川からあがるものや、化粧道具を片づけるものや、それはたいへな騒ぎとなりました。
 なかでもふだんから、いちばん親孝行な、アマム・エチカッポ(雀のこと)は、いま小さな壺をもつて、口をそめてゐた最中に、この知らせを聞いたものですから、
『わたしお化粧どこぢやないわ』と言つて墨のはひつた、いれものをぽんと後に投りました。
 そしてたいへん慌てながら、傍《わき》に化粧をしてゐた、おめかし屋のイソクソキ(啄木鳥《きつつき》のこと)にむかつて、
『さあ、母さんの病気です。いそいで参りませう』と言ひました、するとイソクソキは
『お腹の痛いくらいなら、大丈夫よ、わたしお化粧が、いますこしで終へるんですもの。』
 かう言つて動かうとはしませんでした。
 アマム・エチカッポは、イソクソキにはかまはずに、母親のところへ、どの鳥よりもまつさきに馳けつけましたが、親不孝なイソクソキは、どの鳥よりも、いちばん後《おく》れて来ました。
 皆の馳けつけた頃には、母親の腹痛は、だいぶよくなつて居りました。
 母親はアマム・エチカッポが、誰よりもまづ先に飛んできて呉れたので、たいへん喜びました。
 いまでも雀の嘴《せ》のあたりの黒いのはこのとき墨の容物《いれもの》を投げた、墨が垂れてついたもので、羽にぽつ/\と、黒い斑点のあるのは、墨の散つてついたのだといふことです。
 母親はアマム・エチカッポの孝行に感じて
『お前は、一生のうち、アマム(米又は粟)[#底本の『米又は粟』から変更]を喰べて暮らしなさい。』と言ひました。
 そして親不孝のイソクソキには
『お前の不孝者には[#「お前のような不孝者は」か?]、一生涯腐つた木を突ついて、虫をお喰べなさい。』と言ひました。
 それからと言ふものは、雀は清浄《きれい》な米や粟を、啄木鳥は、腐れた木から虫を探して喰べるやうになりました。
 今でも愛奴《あいぬ》達は、余り家のちかくの樹に、イソクソキが来て、虫を探すことを喜びません、そして灰をまいてこの不浄な鳥のちかよつたことを、清める習慣があります。(大14・11愛国婦人)

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珠を失くした牛

    一
 森の中の生活は、たいへん静かでおだやかでした。誰もむだ口をきいたり喧嘩をしたりするものがありませんでしたから、ながいあひだ平和な日がつづきました。
 すると或る日のことです。どこからか一匹の野牛《のうし》が、この森の中にやつてきました、そして誰にことはりもなく、どしりと大きな体を草の上に横にして草をなぎ倒し、かつてに棲家をつくつてしまつたのでした。
『ほつほホ、あなたは何処から、やつてきましたか』
 森の支配人をしてゐる、白い鳩は、かう優しく杉の木の枝の上から、この野牛にたづねかけますと、野牛は大きな首をふいにあげて
『なんだ、小癪なチビ鳩め、どこからやつて来てもいゝぢやないか。けふから俺様が森の支配人だ』
 とそれは雷のやうな、大きな声でどなりつけ、火のやうな鼻呼吸《はないき》を、ふーつと鳩にふきかけましたので、
『ほつほホ、これはたいへんなお客さんが森へやつてきたゾ、ほつほホ』
 かう驚ろいて、鳩は逃げてしまひました。
 ところが、この野牛はたいへんな、あばれ者で、二言めには、熱い/\鼻呼吸をふきかけて、とがつた角をふり廻しますので、森のけものや鳥や虫達は、怖ろ
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