秋刀魚をながめてばかりゐましたからです。
 飼猫のミケちやんは、
『実はあまり、秋刀魚さんが美味《おい》しさうなものだからですよ。』
 と猫はごろごろ咽喉《のど》を鳴らしながら、秋刀魚の傍に歩るいて来て、しきりに鼻をぴく/\させました。
 魚はいろいろ身上話をして、自分を海まで連れていつて貰ふわけにはいくまいかと、飼猫にむかつて相談をいたしました、猫はしばらく考へてゐましたが
『それぢや、私が海まで連れていつてあげませう、そのかはり何かお礼をいたゞかなければね。』
 と言ひました、そこで秋刀魚は、報酬として猫に一番美味しい頬の肉をやることを約束して、海まで連れていつて貰ふことにしました。
 焼かれた魚は、海へ帰れると思ふと、涙のでるほど嬉しく思ひました。
 そこで猫は焼いた魚を口に啣《くは》へて、奥様や女中さんの知らないまに、そつと裏口から脱けだしました、そしてどんどんと駈け出しました、ちやうど街|端《はづ》れの橋の上まできましたときに猫は魚にむかつて
『秋刀魚さん、腹が減つてとても我慢ができない、これぢやああの遠い海まで行けさうもない。』
 と弱音を吐きだしました。魚は海へ行けなければ大変と思ひましたので
『それでは、約束のわたしの頬の肉をおあがりよ、そして元気をつけてください』
 と言ひました。
 猫は魚の頬の肉を喰べて了ふと、どん/\後もみずに逃げてしまひました。
 魚はたいへん橋の上で悲しみました、そして誰か親切なものが通つたなら、海まで連れて行つて貰はうと思ひましたが、さびしい街|端《はづ》れの橋の上はなかなか通りませんでした、そしてその日は暮れてしまひました。
 翌朝《あくるあさ》幸ひ早起きの若い溝鼠《どぶねずみ》が通りましたので、魚はこのことを頼んで見ました。
 溝鼠は
『それはわけのない話だ、しかし道程《みちのり》もかなりあるし、私もまだ朝飯前だから』
 と言ひましたので、魚は自分の片側の肉を喰べさして、そのかはりに海まで運んで貰ふ約束をいたしました。
 溝鼠は魚の片側の肉を喰べてしまひました、それから魚の胴に長い尻尾を巻いて引きだしました、その日の夕方にひろい野原につきましたが、溝鼠は
『とても私の力では、あなたを海まで運べさうもありませんから。』
 と言つて、魚を野原に捨てて、どんどん逃げて行つてしまひました。
 魚はたいへん悲しみました。
 そ
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