れますので、どんなに悲しい出来事があつても、じつと堪《こら》へてをりました。そして野原の誰もゐない、静かな草の上にきて、せいいつぱい、蛙のやうな、醜い声を張りあげて泣くのでした。
 唖娘は、草花の花弁を糸につなぎながら、とき/゛\胸に手ををいて、五日も十日も一月も、二月も、それよりももっと/\以前の悲しい出来事までも思ひだしてはたつた一人で泣きました。しかし悲しい事がまいにち沢山つづきましたので、お友達の誰よりもあふれるやうにもつてゐた唖娘の涙もかれてしまひました。そして、蛙よりもつと醜い、『ひいひい』と馬のやうな声をだして泣くやうになりました。
 それに唖娘の涙は、もう頬に流れることがなくなつて、瞼の内側に火のやうに熱くたまつた僅かばかりの涙が顔の中にながれました。
 そのとき、はじめて唖娘は涙は海の水のやうに塩からいものだといふことがわかりました。

    二
 しかしやがて馬のやうに泣くことも、唖娘にはできなくなつてしまひました。
 いつも唖娘の泣く声の面白さに、さま/゛\なことを言つて、唖娘を泣かした意地の悪いお友達も、唖娘が泣かなくなつてから、誰も対手《あひて》にしなくなりました。
 唖娘には、お父さんもお母さんもありませんでした。
 そしてこの憐れな孤児の唖娘は、見も知らぬ不思議な小母さんに養はれてゐました。
 それが何時《いつ》の頃から、小母さんの処に来てゐるのか、自分でも知つてゐないほど、小さな時のことでした。
 小母さんは、それは/\広々とした花園《くわゑん》を持つてゐて、そこには薔薇の花をたくさん植ゑてゐました。
 唖娘はまい朝早く起きて、この花園の土に素足になつて、手には重たい如露《ぢよろ》をさげて、薔薇の間を縫ひながら、花に水をやるのが仕事でした。
 その仕事は、けつして辛い仕事だとは思ひませんでしたが、小母さんは、たいへん邪険な人でしたから、唖娘がささいなあやまちをしても、薔薇の棘のある細い鞭を、ぴゆう/\と風のやうに鳴らして、肩のあたりを激しく打ちました。
 唖娘は、これをたいへん悲しく思ひました。小母さんは、黄色い長い上着をぞろ/\と、地面にひきずりながら恐ろしいとがつた眼をして、唖娘の後に尾《つ》ついてきながら、それはやかましく指図をしたり、小言をいつたり、いたしました。
 小母さんのいちばん機嫌のよいのは薔薇の花に、しつとりと朝露
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