高い音がして開いた
その響きは
池の面に咲いてゐる蓮が
いま暁の瞬間に
生命の花ひらく感動の声か――、
あるひは娘が
処女性を失ふ瞬間に
軽い驚きを、ともなつた
感動の声のそのやうにか――、
ひとつの物体が、
充実したつぼみの世界から更に
大きな開花の
次の充実の世界へ移つてゆく
その瞬間に、
自然に発する声か――、
それとも抵抗する蓮の花弁を
百姓の力をもつて中から
強く押し開いた掛声であつたか――、
いや、いや、
花びらに自由自在
開き且つ閉ぢることのできたのは、
人工的なカラクリの
蓮の声であり、
仏の声である、
生きた蓮の花開く声ではない、
生きた百姓の声ではない、
――無智、と叫んで
己れを罵つた
百姓の苦悶の最後の二言は
僧侶の騒音、
寺院のあらゆる整頓された儀式の
形式に打ち消され
彼はただ蓮の中で己れの口から発し
それを己れ
の耳に聴いたにすぎない
雪の伝説を探るには
登山道具はなるべく御持参下さい
こちらの製品は粗製濫造に属し
玩具に属してゐますから、
日本に犯されないものは一つもない、
勿論雪の処女峰などは一つもない、
山番を唖然とさせるほど
勇敢に遭難して
勇敢に救助隊が活動します。
雪の伝説を探るには
東北地方へいらつしやい、
吹雪の中で
簪をさし白いウチカケを着た
幻の雪の精、雪女郎に
何人も何人もに逢ふでせう、
後からヒョコ/\と腰の曲つた老爺が
泣きながら風呂敷包を抱へて尾いてゆく
あなたもその後を尾いてゐらつしやい
すると彼女は廓といふところで
雪の白衣を脱いで
人絹の赤い長襦袢で
あなたを迎へるでせうから。
右手と左手
右手
なんて見下げ果てた奴ぢや
貴様はきのふ百貨店で
そつとカワウソの襟巻に
さはつて見たな
貧乏人のくせに
成り上り根性を出したりして
左手
わしはさはるにはさはつたが
だが、わしの意志ぢやなかつた
右手
誰の意志だ、
左手
脳の命令だつた、
右手
実にお前はけしからんぞ
おれはいつも尻を拭つてゐるんだぞ、
お前は労働を避けたがる
何一つ真先に働いたためしがあるか、
わしはペンで力いつぱい書く役だ
お前は紙の一端を
かるく押へるきりぢやないか
いつもぶらぶらしてゐるぢやないか、
プチブル野郎、
左手
いつも一緒に暮してゐる仲で
今更悪態とは酷いぞ
右手
御主人にカワウソの
毛皮でも買つて貰つて
お前の小市民根性を暖めて貰へ
右手と左手
掴み合つて喧嘩を始める
口
両手共喧嘩をやめい、
きこえんのか
時計が十二時を打つた。飯だ
左手
みろ、右手俺れが今度は
重い茶碗をもつて
貴様が軽い箸もつ番ぢやな
右手
そりやさうだな
働く者同志の喧嘩はやめよう
右手と左手
それにしても
こいつの口にせつせと
兵糧を運ぶわけか
口から尻の世話まで
俺達働く者の手にかかるのを
口の野郎も尻の野郎も
脳の野郎も
すべての命令者共は
忘れるな
或る旦那の生活
一人の政治家がをりました。
靴をはくにも
自分の手をかけたことがない、
椅子に腰かけ
ぬつと足をつきだすと
女中が履かしてくれる
赤い絨氈は座敷から
玄関先までつゞいてゐるから
靴には塵ひとつつけず
そのまゝ旦那さまの足は
自家用の自動車の中へ。
葉巻をくはへれば
傍の秘書がマッチをつけてくれる
車が停まれば
ドアは運転手があけてくれる
旦那さまは手も足もいらない
イザリであつても政務には
結構ことたりる
財布をあけると
銀行では金を入れてくれる
「あれが慾しい、これが慾しい」と
眼でもの言へば、
デパートでは、
金持、政治家、
身分いやしからざるものには
それぞれ係りの店員がゐて
○○様係りの店員は
片つ端から品物を
配達部へ廻してしまふ、
代金はお邸の方へとりにゆく。
旦那さまには
無人の野を行くがごとき
大胆不敵の生活ぶり。
寓話的な詩二篇
温和しい強盗
真夜中、戸をたたく
トン、トン、トン、トン
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「今晩は、今晩は
夜更けて済みませんが
強盗ですが入つて構ひませんか」
「どうぞ――」
「ははあ、人道主義者の家だな」
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真夜中、戸をたたく
トン、トン、トン、トン
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「今晩は、今晩は
夜更けて済みませんが
強盗ですが入つて構ひませんか」
「真夜中に喧ましい奴だ
伝家の宝刀で、ぶつた切つてしまふぞ」
「ははあ、軍人の家だな」
[#ここで字下げ終わり]
真夜中、戸をたたく
トン、トン、トン、トン
[#ここから1字下げ]
「今晩は、今晩は
夜更けて済みませんが
強盗ですが入つて構ひませんか」
「眠い、眠い
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