だ、
そして今、客観的状勢はどうしたね、
客観的状勢は、我々の文章や言葉の中から
同志といふ言葉をケシ飛ばしてしまつたのさ、
意気地なしの自由人よ、
強さうであつても 空で爆音がきこえれば
結局は森林帯《ジャングル》に逃げ込む ヱチオピア土民軍のやうなものだ、
組織的で科学的なヽヽヽヽヽに負けるのだ、
「同志」はてな、「階級」はてな、
どつちも聞いたやうな言葉だがと
あのころの文学的勇士が いまはケロリと白つぱくれた顔をして
省線電車の中で 折カバンをもてあそびながら、
昔の同志はけふ私を あか[#「あか」に傍点]の他人のやうに取扱つた、
君は立派な健忘症だよ、
だが私は忘れることができない
――タワリシチ
――ボリシェビイキ
――ロートフロント
いまでも耳に、こゝろよい
語呂をもつたこれらの言葉をさ、
同志といふ呼び方は かういふ客観的状勢では
少しばかり胡椒が利きすぎるから
使はんでくれ給へと 君の眼は哀願してゐる
そんなに君は、ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 身に泌みて恐ろしかつたか、
かつての文学の、はなばなしい自由の闘士よ、
君の野性の性質は いま底を突いたのだ、
毛のぬけた犬のやうに温和しい、
僕の新しい野性は 永遠に馴れない野性だよ、
さあ、同志咆へ始めよう 曾つての美しい言葉のもつ意味の
積極性を再製しよう
さう、恥づかしがらないで
練習始めだ、
タワリシチ、
タワリシチ、
ボリシェビイキ、
ロートフロント。


芝居は順序よくいつてゐる

ハムレットの乱心が済んで
ファウストの穴倉苦悶だ
お次は―夜明け前の半蔵が
河童のやうな顔つきで
舞台に現れ
観客をゾッとさせる
残るところはリア王の
嵐の中の大絶叫だ
フン、芝居は
手順よく行つてやがらあ、
タワリシチ、
俳優諸君
現実はこゝに至れば
演技の上手な階級が勝ちさ
国民は倒れかけの
書割の下で生活してゐる
演劇的時間と
現実的時間の
区別なんて無いね
俳優諸君は舞台の上で
観客諸君は舞台の下で
せいぜい上手に
芝居をやることだ。


日比谷附近

―純情な国民よ、
群集の中から誰かが叫んだ、
それは私のそら耳であつた。
濠を背景に、兵士達は活動してゐる、
私はそれを眺め
美しいと思ひ、
勇しいと思つた、
『強い者は凡て、美しいのだ。』
『でなければ、醜い程に強いか、どつちかに違ひない。』
私は時代的な、新しい妬
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