に対して、反感を抱いてゐることは確かだ、人に依つては、それが不思議なわけのわからぬことに思はれるだらう、一口で言へば「どの小説家もみんな良い人」なのだから、しかし僕はこの反感的な形式である諷刺詩を自分のものとしてゐるのは、それは抜差しのできない僕の生活の方法だから仕方がない。詩を攻勢的な武器として成立させてをかなければならないといふ社会的慾望から出たものだ。そして散文に対する反感は、僕といふ詩人と小説家との「時間に対する考へ方」の喰ひちがひから出発したものだ、この詩は昭和十一年から十二年にかけて読売新聞に発表したもの、諷刺雑誌「太鼓」に発表したもの並に未発表のものを加へて数十篇のうちから選んだ、自分ではこれらの詩を収録記念することを無価値なものとは思つてゐない。


志賀直哉へ

志賀の旦那は
構へ多くして
作品が少ねいや
暇と時間に不自由なく
ながい間考へてゐて
ポツリと
気の利いたことを言はれたんぢや
旦那にや
かなひませんや
こちとらは
べらぼうめ
口を開けて待つてゐる
短気なお客に
温たけいところを
出すのが店の方針でさあ、
巷《ちまた》に立ちや
少しは気がせかあね
たまにや出
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