林芙美子へ

有名なる貴女の人格に
触れることをおゆるし下さい。
私も多少の人格をもつてゐる、
そしてそのいくらもない人格を賭けて
あなたのことを歌ふのだから、
あなたの芸術上の呑んだくれの
性格は出版記念会の
余興の上には一層それが発揮される
主賓としての貴女は洋食皿をもつて
泥鰌すくひを踊りまはる
それは良いことです
来賓を喜ばすことは
だがもしあなたが踊りのために
くるりと尻を捲つた
長襦袢が
余興のために前もつて着込んで
きたものであつたとしたら惨めです
あゝ、なんて細心な一見苦労人らしい、
事実はレビューガールの媚を想ひ起させる、
あなたは少し苦労をしすぎましたね、
前もつて、たくらんだ計画した
感傷性の売文家よ
だが、再び貴女に九尺二間の長屋に住めとは言はない
人生への追従をうち切つて下さい
面白がつてゐる読者に面白がらしてはいけない
世界の中にたゞ一人
私だけが面白くない貴女を期待してゐる
不機嫌な反逆的な貴女を待つてゐる。


横光利一へ

利一天狗は、
烏天狗、小天狗を引具し
昼なほ暗い純粋芸術の林に
エイ、ヤッ、トウ、と
枝から枝へ飛びかひ修業す、
暗夜、ふくろの声に
寂寥、身に沁む
人里恋しく
この天狗深山からのこのこと
通俗小説の里へ下りた瞬間
凡俗の世界に負けて
痴愚となる
ふたたび山へ戻つて修業するか
雲へ乗つて海外へ飛ぶか
鰯で醤油をつくるのは
小説の中ではたやすからうが
通俗的で芸術的な小説の
新案特許《パテント》をとるには
なかなか難かしからうて。


谷崎潤一郎へ

人生の
クロスワード
人生の
迷路を綿々と語る
大谷崎の作品は
はばたく蛾
鉛を呑んだ蟇
重い、
重い、
寝転んで読むには
勿体ないし
本屋の立読みには
長過ぎるし
読者にとつては
手探りで読む
盲目物語だ
作者の肩の凝り方に
読者が御相伴《ごしやうばん》するのも
よからうが
書籍代《ほんだい》より
按摩賃《あんまちん》が高くつきさうだ
先生の御作は
そやさかいに
ほんまに
しんどいわ。


新居格へ

ビア樽のおぢさんは
コオヒイが好き
ジャズが好き
ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、
ジャアナリズムがお好き
私は貴方の
真面目なやうで
不真面目極まるところが好きよ
豆、豆、豆、豆、
いつも豆で達者で
働き者よ
おぢさんは
ニヒリズムと
アナキズムと
とりまぜ豆、豆、豆、
ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、
ジャアナリズムから
三頭橇《トロイカ》でお迎へだ、
お乗りなさい
愛嬌よく
ジャジャ馬は
ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャと
あなたを乗せて
何処までも。


徳永直へ

あなたを未だ曾つて世間で一度も
呼んだことがない風変りな
呼び方を私にさして貰ひたい、
『インテリゲンチャ作家徳永直氏よ』と
あなたはもう印刷工時代のケースの置場所も
忘れてしまつた頃だ、
それだのにみんなはよつて集つて
労働者作家だと胴上げする、
それはあなたの意志に反することに違ひない
そしてあなたを益々
ゴリキーにしがみつかせる
ゴリキーにばかり学んでゐないで、
たまには他のものも学んで下さい
ゴリキーも現実の一部だといふ意味に於てだ
大きな現実に学んで下さい、
もつとも
ゴリキーに尻尾があれば
もつと掴まり易いのだが
それがないのが残念だ。


林房雄へ

なんてこの男は
どこからどこまでも
騒擾罪を犯す男か、
思想的にも社交的にも、
巧みなタンバリン叩きよ、心得たものだ、
彼が太鼓の中心をうてば、
周囲の鈴共は
ヂャリンヂャリンと鳴るのだ、
我々の中で悪態を吐いて愛されてゐる
福徳家は君一人だ、
ところで誰も彼が生理学の
大家だといふことを知らない、
出版記念会の席上で片つ端から罵り
帰りの玄関先で罵つた相手の肩を
『やあ、やあ』といつて
大きな平手で叩く、
馭者が憤つてゐる馬の首筋を
ダア、ダアといつてたゝくと
馬は眼を細くして温和しくなつてしまふ
神経中枢に近い部分を
平手でうつことは
鎮魂帰心のいゝ方法
林にやつつけられて林に肩をたたかれて
気が静まつた相手幾人ぞ
林よ、論敵を馬扱ひにしたから
今度は罵つてをいてそ奴の
耳の下を掻いてやりたまへ
すると今度はゴロゴロと咽喉を鳴らすだらう。


武田麟太郎へ

おゝ、吾が友よ
高邁なる精神の見本そのものよ、
羽織の下に衣紋竿を
背負つてゐるだらう、
肩をいからし
『燕雀、何ぞ大鵬の志を
知らんや』
と呟きつゝ銀座を歩いてゐる
果して彼は
燕雀なりや、
大鵬なりや、
神さまだけがそれを知つてござらう。
泣いてゐる君の小説の素材よ。
君は全身的には政治が嫌ひだが
色眼だけは誰よりも美しい。


秋田雨雀へ

はげしい電光の入り乱れた
日本の解放運動の
どさくさまぎれに、
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