ごらん
その時私は電燈の明るい光りの下で
少年世界を熱心に読んでゐた、
私は雑誌を畳の上に伏せた、
それから母に言ひつけられたやうに
妹よ、お前の夢遊病を尾けて行つた、
戸外は昼のやうに明るかつた、
どこにも月がでてゐなかつた
それだのに地上の明るさは
地平線のかげから
まるで水銀のやうな光りがたちのぼり
小さな街中をまんべんなく明るくしてゐた
路は凍り、妹は下駄の音を
カラコロと陽気に立てながら
私の知らない
幸福なところへでも案内するやうに
私の先に立つて歩いて行つた、
街はひつそりと静まつてゐた、
ぽかんと開かれた妹の眼は
虚洞《うつろ》のやうに
何処かの一点を凝視し
足は全く反射的に交互に運びだされ
すこしも後をふりかへるといふことをしない
郵便局のある街角まできたとき
私はかなしみがこみあげてきた
私はもうたまらなくなつて
――どうしたの
眼を覚まさないの、
とはげしく妹の肩をどやしつけてやると
妹は、ハッと我にかへつて
――まあ、いやだわ
と私の体にひしとしがみついた
妹は自分の周囲を見まはし
一度にそこに立つてゐる
自分と羞恥とを感じたのだらう
――おゝ寒い、寒い、
二人はかう言ひながら
たがひに手をとりあつて
どんどん韋駄天走りに家にかへつた
母親は不気嫌であつた、
そして父親は笑つてゐた、
妹よ、
あの白い夜のことを覚えてゐるかい、
あの時、少女であつたお前は
今はもう三人の子の母親になつた、
きのふ私が金を借りにいつたら、
お前は瞬間しぶい顔をしたが、
金を借してしまふと
もとのなつかしい顔にかへつた
私が玄関で靴を履いてゐると
お前は傍に坐つて
いかにも改まつたやうな口調でかういつた
――兄さん
どうして貴方は
社会主義者になどなつたのよ、
わたし、何にも訳がわからないから
廃せとは言はないけれど――
あんまり、警察なんかにいつて
体をこはさないやうにしてね、
私はフッと笑ひながら
――どうしてなつたのかな
と空うそぶいた、
弟は戸棚から菓子を出してきて
紙に包んで手渡した、
弟よ、お前は私の歳が
いくつだか知つてゐるかい
妹よ、お前はまだ
白い夜にたがひに手をとつて
駈けだして帰つたころの
小さな兄妹のやうに思つてゐるのだらう
心配するな妹よ、
お前は社会主義の
『社』の字も知らなくても
お前はしあはせに
亭主に仕へて子供を育てゝゐたらいゝ
お前は何時までも
寒い白い夜のことを忘れてくれるな。
悲しみの袋
わたしは一人で
歌つてゐるのではない
合唱してゐるのだ
そして私は、君の眼からは
勇敢に見えるのだ、
君はたんと誤解したまへ
私は誤解されるために
詩を書いてゐる
君が現実を誤解するのは
合理的だし上手なんだから
私が歌ふと
木霊がかへつてくるよ
だから私は淋しがらない
君の悲鳴は
自分のところへ
もどつてきた例しがない
君は悲しみの入つた
立派な袋だよ
悲しみのある間はいいさ
だしきつたら
袋は強い足に踏みつけられるだらう
私の口はたたかつてゐる
帆が風にたたかつてゐるやうに
波と風との速度の早さに
窒息しさうだ
船は音高くきしる
それが私の悲鳴なのだ
高い――悲鳴、それこそ君の耳に
勇敢に聞えるところの私の歌だ、
私の眼からは戦ふことも知らないで
流れ去つてゆく
君の方がはるかに勇敢に見える。
−−−−−−−
愛情詩集
痲痺から醒めよう
私を可哀さうだと
思つてくれるのか、
そして抱擁してくれるのか、
いゝ理解と、かわいゝ愛よ、
政治をうしなつた青年の
血みどろの焦燥を
慰さめてくれる貴女たちの愛よ、
女達は男の苦しみを
愛で埋めようとしてゐる、
文学の政治性に酔つてゐた日が去つた
文学のモルヒネ患者は
そろそろ薬が切れかけて
し《ママ》つきりなしに、号泣と、倦怠と
空白と、痲痺と、あくびの連続、
わたしは知つてゐる、
適宜に対手の棍棒が
痲痺を与へる程度の打撃を
我々の後頭部に
加へられてゐるといふことを、
さあ、早く醒めなければならない、
早く政治がなくても
淋しがらない文学の子となつたらいゝ、
非戦闘部員は政治から放逐された、
そして女の愛を激しく求めてゆく、
愛はまた新しい痲痺状態を与へ始める、
思ひあがつた文学者の
政治の愛の毒よりも、
女の真実の愛ははるかに楽しい、
しかしこゝにもまた怖ろしい
よろめきがある。
汽車と踏切番
動揺と苦しみの
愛の路ははてもない。
漂泊《さまよ》ひだした貴女と私、
どうぞ、寂寥のために
物怖ぢのために――、
私に寄り添はず
胸の中にも抱かれずに
茫然としたくるしみの中で
はつきりと愛の行路を
発見して行かう。
さあ、疲れたら塩気のあるものを
また糖分をなめたり喰べたりして
獣のやうにではなく
人間の
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