して霧の中で
むなしく行きちがひになつてしまふ
いまはじつと立ちすくんで
晴れてゆくのを待つてゐる
霧よ
晴れてゆけ
とほく轟と汽車のとほるひゞきが
一層私を不安にする。
大人とは何だらう
わたしの年齢は立派になつた
背丈ものびきつてしまつた
怖ろしいことと
辛いこととは
すべての人々と同じやうに私にも配分された
でもわたしはわからない
大人とは一体なんだらうと
もし私の鼻が喜んでくれるなら
鬚をたてゝみたい
もし私の唇が許可してくれたら
全部を語らずにいつも控へ目にしやべりたい
わたしはそれが出来ない
つくり声や、相手とのかけひきや、威厳の道具を
鼻の下にたくはへてをくことが
大人の世界に住む資格であつたら
わたしは永久に大人の仲間に入れない
わたしは大人のくせに
大人の仲間に入つてキョトンとしてゐる
勝手の分らないことが多いのだ、
思想の老熟などが
人生に価値あるものなら
わたしは明日にも腰をまげ
ごほんごほんと咳をしてみせる
一夜に老いてみせることも出来る
若い友達は
わたしをいつも仲間に迎へてくれる
だからわたしは
額に人工的なシワをつくつてをれない
たるんだ眼玉や、たるんだ声で
わかい精神を語れない
大人とは一体なんだらう、
死ぬ間際まで私はそれが判らないでしまふだらう。
旅行者
青年は眼ばかり若々しくて
体は生活で、さんざんに汚れてゐる
若い人生の旅行者よ。
僕は君とゝもに
若い手足のはたらきを
どれだけ果したか、
また果しつつあるかを反省してみよう。
風は雲をふり払つた、
だが依然として雲は湧きあがり
空から尽きようともしない
雲は風にいどみかゝつてゐる
君は自然の争ふさまや
悠久なありさまも忘れたのか
もし君が夜の墓石の上に枕をもちだし
夜つぴて星を数へてみたとしたら
明日は――きつと鳶になつてもいゝと思ふだらう
私はいまこゝに青年期のながさを打ち樹て
不老不死の精神に奉仕しようと思ふ、
若い旅行者は、
きのふ何処から出発してきて
けふ何処まで着いたか、
青春の歩みをもつて
太陽と月との着実な歩みに答へねばならない。
若い旅行者よ、
君の健脚のそのやうにも
君の思想を前進させよ。
嫌な夜
ざわざわと風が吹く
吊り下つた電燈は絶えず動く
遠く犬が鳴く
不安な胸騒ぎがする
沈着で禍などをすつかり忘れた
肥満した人間が酒をのんでゐるだらう
おどおどとして正直に
忙しさうに路をゆく人もゐるだらう
寝床をひんめくるやうに
地球の上から夜をひんめくつたら
優しい心を夜襲しようとして
狼の群が山の頂きに吠えてゐるだらう
ぐうたらな思策家が思はせぶりなペンに
インキをひたしてゐるだらう
なんて嫌な夜が続くのだらう
文学も、政治も、映画も、
みんな嫌な夜の中で案が煉られ
明るい昼の時間にもちだされる
ざわざわとした落ち着きのない
塹壕の中で立ち乍ら眠つてゐるやうに
すべての人々は嫌な夜を
不安な休息にもならない眠りをつづけてゐる
怒りをとろかす眠りを
うけいれる位なら
私は死ぬまで一睡もしないで狂つた方がいい
めざめてゐる昼の時間のために
良い妹のやうな夜であつたらいい
だが悪辣な女か、獰猛な猫のやうに
人々の心に噛みつくために
よつぴて人々の心の中を騒ぎまはる
夜よ、お前はかつてのやうに
暁を待つてゐる純情な夜ではなくなつたのか。
白樺の樹の幹を巡つた頃
誰かいま私に泣けといつた
白樺の樹の下で
幼い心が幹の根元を
三度巡つたときからそれを覚えた
草原には牛や小羊が
雲のやうに身をより添はして
いつも忙がしく柵を出たり入つたりしてゐたのに
私の小屋の扉は
いちにちぢゆう閉られたきりで
父親も母親も帰つてこなかつた
夕焼は小羊達を美しいカーテンで
飾るやうにして小屋の中に追ひやつたのに
ランプもついてゐない私の小屋の
恐ろしいくらやみが幼ない私を迎へた
百姓の暮らしの
孤独の中に放されてゐる子供は
樺の樹の幹を巡ることに
孤独を憎む悲しみの数を重ねた
いまでも愛とはすべてのものが
小羊のやうに
寄り添ふことではないのかと思つてゐる
いまでも人間とは小羊のやうに
体の温かいものではないかと思つてゐる
大人になつても泣けるといふことは
みな昔樺の樹を巡つたせいだ
鉄の魔女
しづかな嘘か、或は計画された情熱で
魔女をのせた車は足音を忍ばせて走る
人影はながく、土の上の車の軋りは
いつまでもいつまでも列をつゞける
辺りに眼もくばらずに
悲劇の法則を辷るやうに――、
こゝは曾つて平和であつた
こゝろよいクッションであつた
いま寝台の弾機は壊れてしまひ
デコボコの路に
ところどころ穴があいて水が溜つてゐる
一夜にして野はベッドの覆ひを
激しい風と火とで縦糸《たていと》を舞ひあげて
あとには赤い横糸《よこいと》
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