の二階住居
罵しる詩を書く自由を自分のものにしてゐなければ
私は到底かうしたところに住むに堪へ難いだらう
自由はいつの場合もとかく塵芥の中で眼を光らしてゐる
幾人かの不遇なものゝために
生と死との間に自由を与へてゐるだらう
私もまたその間をさまよふのだ
冷めたい凍つた窓硝子に
顔を寄せ十二月の街を見おろす


幸福と退屈

ふしぎな時代に生れ合したものだ
その幸福さをしみじみと感じよう
人間と蛆と心中をするこの時代を感謝しよう
我々は生活の中で学びとつた沈黙の表情で
にやにやと笑つてすごさう
私は意地汚なく生きぬけるだけ
生きようとしてゐるものだ
火の歯車のなかに突入しようとする心を
じつと堪へて街を見る
白き千の箱、どれひとつ涙なくしては眼に映らぬ
退屈な奴はその退屈の長さだけ
キネマ館の周囲をとりまいてゐる
都会の哀愁は夕暮の靄にしづかに沈みただよふ
心躍らぬ奴は赤と白との玉を玉突屋の台の上で
ころがして遊びくらしたらいゝ
世紀を押し倒す力なく
ただ麻雀のパイは勇ましく倒れる

歯を抜かれた不快に似た不安が
永遠につづくかぎり
この酒のほろ酔ひも楽しいかぎり
まつたく何ものを怨むことはないが
まだ歯医者をにくむことは辛うじて残されてゐる


運命偶感

まだすり切れてゐない
私の運命よ
だがさういつまでも新しくはあるまい
次ぎの運命の引き継ぎのために
のこされた精神は
こゝらで石炭殻のやうになることを
私は怖れる
過去は打撃の多い
苦しみの多い生活であつた
運命を満腹さしてくれた
お前の行為に謝する
そして私の愛する民衆の愚眛と
聡明な時の流れに敬意を表する


詩人と秘密

秘密は沢山だ、散文家にまかせてをけ
彼等が秘密を保つこと大きければ
大きいほど大きな仕事ができるから――。
私は詩人だ秘密は大嫌ひ
現実から秘密を発見し
それを披露して人々に嫌な顔をさせたい
だが、すべての詩人は嘘吐きめだ、
まだまだ秘密の公開が足りない
君は真実の歌をさらけ出さない
散文家の大きな嘘は認めてやらう
小さな嘘は笑つてやらう
詩人の嘘は大小に拘はらず認められない
私は小さな嘘吐き共とたゝかふために
生活の上でも、
思想の上でもこんなに苦しんでゐる
馬鹿々々しいスタイリスト詩人共
日本にこれまでよき詩がないのは
君等が嘘でかためたニカワのやうに
立派に観念を固めるからだ
私のふるへる心臓をどうするのだ
どうしてこれを他人が押へようとするのか、
いまこそ知らせてやれ
いかに詩人とは生活が滑稽で
語ることがをかしくて
道化者のやうであるかを知らしてやれ
さて詩人の生活をものの二時間も語つてやれ
最初は面白がつて聞いてゐた奴等も
しだいに憂鬱な顔になるだらうから
秘密をさらけ出す詩人の性情は
すべてに憎まれるか迷惑がられる
それを怖れるな
大きな秘密を発見して
それを大きな考への下に披露してしまへ。


耳鳴りの歌

私の耳の中では
ソバカラを鳴らすやうな
少しのしめり気もない乾ききつて
鉄砲をうちあふやうな音がきこえた
私は心で呟やく、あゝ、まだ戦争がつゞいてゐるのだと
とてつもない大きな大砲の音がひびく
ほんとうの戦争よりも激しい
貧困とたゝかふ者もある
そして夜がやつてくると
どしんどしんと窓は何ものかに
叩きつけられて一晩中眠れないのだ

やさしい秋の木の葉も見えない
都会の裏街の窓の中の生活
ときをり月が建物の
屋根と屋根との、わずかな空間を
見せてならないものを見せるやうに
しみつたれて光つて走りすぎる
煤煙と痰と埃りの中の人々の生活も
これ以上つづくであらうか
愛といふ言葉も使ひ古された
憎しみといふ言葉も使ひ忘れた
生きてゐるといふことも
死んでゆくといふことも忘れた。
ただ人はゆるやかな雲の下で
はげしく生活し狂ひまはつてゐる。

私の詩人だけは
夜、眠る権利をもつてはいけない
不当な幸福を求めてはならないのだ
夜は呪ひ、昼は笑ふのだ
カラカラと鳴るソバカラの
耳鳴りをきゝながら
あゝまだ戦争は野原でも生活の中でも
つづいてゐるのだと思ふ。
そのことは怖れない
人民にとつて「時間」は味方だから
人と時とはすべてを解決するのだらう。


霧の夜

濃い霧は
私をうつとりとさせてしまつた
一間先も見えない
そこで私は一歩一歩前へあるいた
すこしづつ前方が見えてきて
あつちこつちで
ざわざわと人の立ち騒ぐ気配がした
しかし霧は濃く
人の姿はなかなか現はれない
なんと寂しいことだらう
しだいに襲つてきた霧は
すつかりと私をとりかこんで
わづかの空間をのこしたきり
私は正しくものごとを考へ
正しくものを視透す場所を
誰か他の者の手によつて
計画的にせばめられてゆくとしたら
それは恐ろしいことにちがひない
人々と心の連絡も切れてしまひ

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