おどおどとして正直に
忙しさうに路をゆく人もゐるだらう
寝床をひんめくるやうに
地球の上から夜をひんめくつたら
優しい心を夜襲しようとして
狼の群が山の頂きに吠えてゐるだらう
ぐうたらな思策家が思はせぶりなペンに
インキをひたしてゐるだらう
なんて嫌な夜が続くのだらう
文学も、政治も、映画も、
みんな嫌な夜の中で案が煉られ
明るい昼の時間にもちだされる
ざわざわとした落ち着きのない
塹壕の中で立ち乍ら眠つてゐるやうに
すべての人々は嫌な夜を
不安な休息にもならない眠りをつづけてゐる
怒りをとろかす眠りを
うけいれる位なら
私は死ぬまで一睡もしないで狂つた方がいい
めざめてゐる昼の時間のために
良い妹のやうな夜であつたらいい
だが悪辣な女か、獰猛な猫のやうに
人々の心に噛みつくために
よつぴて人々の心の中を騒ぎまはる
夜よ、お前はかつてのやうに
暁を待つてゐる純情な夜ではなくなつたのか。
白樺の樹の幹を巡つた頃
誰かいま私に泣けといつた
白樺の樹の下で
幼い心が幹の根元を
三度巡つたときからそれを覚えた
草原には牛や小羊が
雲のやうに身をより添はして
いつも忙がしく柵を出たり入つたりしてゐたのに
私の小屋の扉は
いちにちぢゆう閉られたきりで
父親も母親も帰つてこなかつた
夕焼は小羊達を美しいカーテンで
飾るやうにして小屋の中に追ひやつたのに
ランプもついてゐない私の小屋の
恐ろしいくらやみが幼ない私を迎へた
百姓の暮らしの
孤独の中に放されてゐる子供は
樺の樹の幹を巡ることに
孤独を憎む悲しみの数を重ねた
いまでも愛とはすべてのものが
小羊のやうに
寄り添ふことではないのかと思つてゐる
いまでも人間とは小羊のやうに
体の温かいものではないかと思つてゐる
大人になつても泣けるといふことは
みな昔樺の樹を巡つたせいだ
鉄の魔女
しづかな嘘か、或は計画された情熱で
魔女をのせた車は足音を忍ばせて走る
人影はながく、土の上の車の軋りは
いつまでもいつまでも列をつゞける
辺りに眼もくばらずに
悲劇の法則を辷るやうに――、
こゝは曾つて平和であつた
こゝろよいクッションであつた
いま寝台の弾機は壊れてしまひ
デコボコの路に
ところどころ穴があいて水が溜つてゐる
一夜にして野はベッドの覆ひを
激しい風と火とで縦糸《たていと》を舞ひあげて
あとには赤い横糸《よこいと》
前へ
次へ
全23ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング