けた
「諸君」僕は母親をなくしたこの子供の育児係りであります、
この子の父親は助平女流詩人に惚れてゐて
この子を構はんのであります
しかもその女はこの子の毛布をうばひました
われわれは野宿をいたしました
諸君。母親の働いてゐる家庭のために
母親をなくした家庭のために
託児所をつくれ!
託児所をつくれ!」
かう怒鳴つて群集の輪を大スピードで
大西は帽子をまはし始めると
チャリン、チャリン、と金属の音が帽子の中にとびこんだ
大西は敏捷な動作で帽子を二三回まはし
集まつた金を数へもせず鷲掴みで
ズボンのポケットの中へ落しこみ
「サクラ子ちやん大成功だ、もう踊らなくてもいゝよ」
とさつさと群集の輪を突切つてその場を去つた、
五十二
それからガードの入口にもたれてゆつくりと
金を数へてみると、銀貨銅貨とりまぜ一円七十五銭
カフェーのマッチが一個に、キャラメル三粒、
意気揚々と省線電車に乗りこんだが
乗客が多くて電車は押すな押すな
見ると一個所大きく席があいてゐる
そこには酔つぱらひが吐いたヘドが
一間四方の放射状に散つてゐて
誰もその前に坐るものがゐない
エビフライの断片とウドンのまじつた嘔吐で
おそらくビールと泡盛と日本酒を
ちゃんぽんにのんだ悪酔がさせたわざであらう、
大西はサクラ子をつれて
そのヘドの前に十人分の坐席を
二人で占領してしやあしやあと
のびのびと悠々と済ました顔で乗つて帰る
五十三
大西とサクラ子が家にたどりつくと
まだ明るいといふのに
不思議にも家中の雨戸がしまつてゐる
尾山とりん子が外出して留守かと思ふと
雨戸のすき間からチラホラと灯がもれ
人のゐる気配がする
怪しいぞと大西が足音を忍ばせ
雨戸のすき間から中を覗くと不思議な光景だ、
昼だといふのに雨戸をしめきつて
部屋の真中の瀬戸の大火鉢を
尾山とりん子が挾んで坐つてゐる
尾山が火箸を一本
りん子が火箸を一本
それぞれ一本づゝの火箸を手にして
無言劇のやうにだまりこくつてうなだれて
火鉢の中の灰をそれでひつかきまはしてゐる
かたはらのチャブ台の上には蝋燭の灯、
たがひに語ることも尽きてたゞ運命の倦怠、
尾山が灰の上に火箸でAと書けば
りん子が灰の上にBと書く
尾山が灰の上にZと書けば
りん子が灰の上に○を書いてしくしくと啜り泣く
大西は雨戸のすきまからじつとそれを覗く、
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