旦那も、よくよく考へての事だらう、
考へれば、少々俺たちも
心細くなつて来た、
縁起でもないことを考へさせられる、
俺達が溶けて無くなつてしまふといふ事をさ、
玄海灘に、
赤いやうな
黄色いやうな
大きな月が出て、
船の甲板を、てらてら照らし、
俺はしんみり東京の仲間の事を考へさせられた、
甲板の上で居眠りをしてゐるかと見ると、
八公の野郎、監督に殴られてから
すつかり、しよげ込んで、
奴はしきりに考へこんでゐやがつた、
あいつも俺と同じやうに
名誉も糞も、へつたくれも、
要らなくなつたんだらう、
すると、突然、海面に、おそろしい
大きなドブン、ザーといふ物の落ちた音がした、
見ると、早いもんだ、八公の野郎
もう、この世に、姿が見えねいや、
船の中の俺達は大騒ぎした、
八公の落ちた辺りを、
船がお愛そみたいに、二三度、
大きく廻つてポーと汽笛を鳴らし哀悼の意を表して
それきりさ、
俺達は船室に駈け降りて
奴の手廻りの物を引つ掻き廻して見ると
鼻紙に鉛筆で
八公の野郎カキオキを
ぬたくつてゐた読んで見るていと
 『おゝ、ルンペン諸君、わしは、いささか代表
  いたしまして、はい、左様で御座ります、
  へい、お有り難う御座ります。』



プラムバゴ中隊


支那の軍隊は
プラムバゴ中隊、
ふらり、ふらりと曠野をさすらふ、
一発撃つては、煙草を一服、
一服吸つては駈け出す、
彼等は真実、のんきだらうか、
彼等は悠長にみえるだけだ、
大きな舞台では
大きな身ぶりをしなければ
役者が引きたたない、
舞台を隅から、隅まで使ふには
名優でなければ出来ない業だ、
大根役者はいつも
舞台の隅つこにかたまつて
お客の聴きとれないやうな声で
クチャ、クチャやる、
支那の兵隊は名優揃ひ
けちな芝居はうたない、
彼等は胸を撃たれ、血を流した刹那
切実な悲鳴をあげてぶつ倒れる。
――切実な悲鳴、
どこの兵隊でも死に際には
切実な声をあげる――
と諸君は言ふだらう、
だが支那の兵隊は、特に
各国の兵士よりも高い悲鳴をあげるのだ、
棺はしづかに運ばれて
泣き女は棺に泣きながらついてゆく、
空涙をかほどまでにも
真実らしく流す技術をもつた国民は
世界の何処を探してもないだらう。
あゝ、何といふ文化国だらう、
彼等は撃たれて倒れるとき
決して中華民国万歳とか、
中隊長万歳とは叫ばない、
彼等は絶叫する
――胸が痛い、と
なんといふすばらしい唯物主義者だらう、
プラムバゴ中隊は
ぞろぞろ行軍する、
プラムバゴとは中隊の名ではない、
プラムバゴとは支那、満洲の植物の名だ、
丸い四斗樽程の大きさの
ホホキ草に似た草だ、
こいつが曠野に無数に散在する、
プラムバゴは可笑しな奴、
プラムバゴはブラツキ主義の哲学者、
プラムバゴは空を飛びあるく草、
プラムバゴは地を転げ廻る草、
プラムバゴは偉大な生活力をもつた草、
プラムバゴが数百、地平線から
突如として現はれた、
太陽は大きな口で
ガブリと砂漠に噛みついた、
そして『熱い!』といつて砂を吐きだした、
乾燥期になると
プラムバゴは葉を巻いて、根が枯れて、
風がどつと吹きすぎると
ひとたまりもなく根こそぎに
地上に放り出されてしまふ、
それからこの植物は
広い満洲中をあてどもなく
風におくられてコロコロと転げ廻る、
兵隊はフットボールのやうに
こいつを足で、あつちこつちへ蹴飛ばし合ひ
――プラムバゴは今頃になると
きまつて死んだ真似をしやがる、と
声を合はして可笑しがる、
プラムバゴは徹底した無抵抗主義か、
いやいやこ奴は仮死の状態で時期を待つ、
やがて満洲に湿潤期がくると
プラムバゴは遠慮勝に根を出し
巻いてゐた葉をそろそろと
普通のやうに開きだし、
飛んで来た処、行きあたりばつたりに
自分の居るところに根をおろす、
満洲の激しい風に
この小さな植物は、いつも根こそぎにされるから
何時の間のにか種属保存と
本能的な自体保護とを覚えてしまつた、
空を飛びあるく奇妙な植物
きのふは百支里、北に――
けふは二百支里、南へ――
支那の兵隊は
戦争が終ると旗を捲いて四方に散る、
季節がくれば集る、
そして満洲の大舞台を出没自在、
まるで彼等はプラムバゴのやうだ。
この愛すべきプラムバゴ中隊が
何故、日本軍に全滅されたかを語らう。
黄色い、土の小さな丘陵のかげに
プラムバゴ中隊がかたまつてゐた、
前面には日本軍がゐる筈だつた、
しかし姿が見えなくて
指で肋骨をたたくやうなゴボンゴボンといふ
射撃の音が遠くにきこえた
兵隊は何れも応募兵、
メリヤスシャツの工場から飛出してきた男、
生れつきの浮浪人やら、
兵器廠を首になつた男、
印刷工場の植字工上り、
その顔触れは種々雑多で
日本の失業者の顔触れを集めたものと
同じやうな産業別だ
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