何故このやうに口を尖らし
唇を、フリュートのやうに鳴らすのか
そのことを避けてはならない。
青年よ、
議論を避けるとき
君は常識家となるだらう、
東洋流に、議論を軽蔑してはいけない。
愛を語るとき、正義を語るとき、
愛は、正義は果して単純だらうか――
君と私とが一本の接木のやうに、
うつかりと妥協はできない、
一本の接木の枝のてつぺんから
怪しげな実を結ぶことはよくない、
争へよ、
君は君の血管のために興奮してやりたまへ、
君の若々しい細胞のために
夜を撤して語ることは悪くない、
若くして超然たる、若老人《わかどしより》を軽蔑してやらう、
沈黙は必ずしも偉大ではない、
君が若し沈黙を愛するなら、
相手の、君に対する憶測と誤解とを警戒し給へ。
最前の努力をもつて
真実のために語れ、
泡立つ青年の言葉をもつて語れ、
勝利を語るために遠慮するな、
静けさを求める者のためには
墓へ通ずる小路がある、
こゝには一切のものが停滞してゐる。
体力的であることの、青年らしさよ、
我々はけふ中心的な問題に就いて争ひ、
明日笑つて握手しよう、
劔をのむやうな技術をもつて
鋭利なものを嚥みくだす咽喉よ。
太い糞をするために
小さなケツの穴であるな、
あゝ、何と罵しりをもつて
終始する日が続くことだらう、
だが、私は決して悲しまない、
議論をもつて君が私と直面する刹那に、
君は火花のやうに、
私の胸へ理解を叩きこんでくれる。


姉へ

アカシヤの花の匂ひの、
プンと高く風にただよふところに――、
私の姉は不幸な弟のことを考へてゐるでせう
酔つてあばれた
ふしだらであつた弟は
いまピンと体がしまつてゐるのです。
そして弟は考へてゐるのです、
苦労といふものは
どんなに人間を強くするものであるかを。
私は悲しむといふことを忘れました、
そのことこそ
私をいちばん悲しませ、
そのことこそ、私をいちばん勇気づけます
私が何べんも都会へとびだして
何べんも故郷へ舞ひ戻つたとき
姉さん、あなたが夜どほし泣いて
意見をしてくれたことを
はつきりと目に浮びます、
――この子はどうして
 そんなに東京にでゝ行きたいのだらう、
弟はだまつて答へませんでした、
運命とは、私にとつて今では
手の中の一握りのやうに小さなものです。
私はこれをじつと強く、
こいつをにぎりしめます、
私は快感を覚えます、
――私は喰ふためにではなく
  生活のために生きてゐるのです。
といふほどに、今では大胆な言葉を
吐くことができます、
労働のために握りしめられた手を
私はそつと開いてみます、
そこには何物もありません
ただ憎しみの汗をかいてゐるだけです、
御安心下さい、
私は東京に落ちつきました。


自分の路・他人の路

すばらしい哉、
私は好むとほりの生活を
こゝまで、やり通して来た、
そしてこゝに誰に遠慮なく、怒り、泣き、歓喜し、
虚偽を憎むことが出来る、
片意地な奴等のために
階級的片意地をもつて答へてやれるし
潔白な友へは、
開つぴろげて魂を売り渡してやる、
潮のさし引きよりも
もつと移り変りの激しい
感情の使ひ跡をはつきりと私は知つた
人間へも、また猫へも、犬へも
花へも、樹木へも、
あらゆる人間以外のものにも
彼等の希望を代弁してやらう。

小さい頃の憧憬は消え去らない
青春の恍惚は去らないのだ、
一日、一日と水々《ママ》しく
むしろ是等のものが倍加される、
私の生活を封鎖しようとする奴のために
悪態を吐くことの
なんといふ喜びだらう。
死の中にあつて
死の存在を知らない馬鹿者のために
私は『死の歌』を歌つてやる、
生の中にあつて
生きてゐることを知らない者へも同様に――、
そして私は彼等を罵る、
――君等は、もう生きてゐないと、
青春を粗末にするものには
早く老いてしまへと祈つてやらう。
私は知らない
私や友の魂の行衛を、方向を――、
何処に昇つて行く梯子があり、
何処に君が降りてゆく階段があるかを、
私が知つてゐるのは
上へも下へでもなく困難な前方へだ、

私は自分の通る路を
自分の感情で舗装して進む、
他人の路ではなく自分の路で
他人の不安を借り物にするのではなく
自分自身の不安の路だ、
私は他人に私の路を、さし示すほど
勇気はもつてゐない
友は、諸君はまた、ひたむきに歌ふ
喜怒哀楽の良い楽器だ、
私もまた雨の中で感情の太鼓を打たう、
そして期待する晴天の日を、
私は疲労を忘れて
勇気ある鼓手たることを望む。


おとなしい人

なぐさまれない一日よ、
だが不満を捨てるゴミ箱はない、
味方にぶつぶついふことは
味方がたまらないだらう、
敵にむかつて自分の不満をさらけだすこと
つまり――敵に甘えることだ、
味方には愛情
敵には攻撃以外の何ものもなし、
さて、我々の不満よ、不満よ、
そのハケ口をどこにみつけようか、
それとも不平不満を
そのまゝじつと堪へて時間を喰ふか
それは良くない、
おとなしい人々よ、
不平を処理する方法は
七転八倒の苦しみの中から
引き出し給へ、
温順な人、
それは味方にも可愛がられる
そして敵にも愛される、
まあ、言はゞ階級闘争の
男メカケのやうなものだ、
私はさうしたおとなしさを軽蔑する。


数十万年目に相逢ふ月と星とに就いて

私はうつむいてあるく、
何を考へて歩るくと君はおもふ、
それはさまざまのことである、
つまらぬ出来事についても
たとへばユズの匂ひで濛々と部屋中を
とぢこめた銭湯に入つたことを考へながらあるく。
それから綿にアルコールをつけて
死んだ友だちの顔をふいてやつた時の
 ことを考へてあるく、
じつと地面をみつめてあるく。

私はものの観方を決して浅いとは思つてゐない、
もし私の視線が鉄の棒か、鋤《すき》であつたら、
二度とふたたび私の通つた後を
通ることができないほど
地面は私の視線で掘つくりかへされてゐるだらう
憎しみをもつて、あいつを見る、
あいつはその場で死ぬだらう。

私はいつものやうに
下うつむいて夜の街を通つた、
すると私とはアベコベに空を仰ぐ
ものものしい様子の大人や
子供の一団がゐるのに気がついた、
それは何かしら異常な出来事を好む人々が、
好んで立つ何時もの十字路であつた、
とほくに火事でもあるのか、

私は思はず人々のするやうに空を仰いでみた、
そこに不思議なものを見た、
空には何があつたか、
――それは親密な奴等のしやれた立話であつた。
そいつらは空でキラキラ光つて
いささか得意気にも見え
非常にひろい空間に
鷹揚に自分達の位置を占めてゐた、
それは一つの上向いた三ケ月様と、
その下にするどく光る金星と、
月の上部にはニブク光つてゐる土星であつた。
――近星《ちかぼし》は人死にがありますよ、
老人らしいのがこんなことをしやべつてゐた、
――今夜の月と星とは
 数十万年目に一度出逢つたんださうですよ。
その日の朝刊で知つて
誰やらがかう興奮しながらしやべつた、
みるみるうちに金星は
月の周囲をめぐりだした。

私は星の実在と
星が人間に与へる影響に就いて考へながら、
またしてもうつむきながら歩るきだした、
そして私はかう考へた、
あの黒い空に天文学者たちは
白いチョークで無数の線をひく、
そこで彼等は数十万年目に
月と金星と土星のコースが
今日合致するといふことを知ることができた、
なんといふ偉大な人間の仕事だらう――。
だが学者たちは月を星を、
この光る空の機関車のどれをも
自分の思ふ引つ込み線にひき入れることも、
ポイントを返して行き違ひにすることも
人間の力では不可能なんだ、
空の光るものたち、
光る機関車たちは
その日私にどんな土産物をもつてきてくれただらう。

その土産物はかうだ、
私にとつてはこの三つの光る物たちが
現れる丁度、一週間程前に
私の同志《タワリシチ》が自殺したといふ事実があつた。
あゝ、その星たちが運行し
近づきあつてゐる時に――、
同志は思想的苦しみのために
自滅にちかづいてゐたといふことであつた、
数十万年目の月と星との遭遇と
またこれらのものゝ離反のそのやうに、
いまでは私と友とは
永久に相逢ふことができなくなつた、
いまは私一人で
この美しい月と星との集合を見た、
それが彼等月や星が私へもつてきた第一の土産であつた。

第二の土産。
生きのこつてゐる私にとつての――、
星よ、ありあまる程のお前の印象であり、
そのお前の光りである、
生きてゐる私の手にお前たちの光りはとどく。
そのために一層私の手は美しく見えた、

私は友の死でこの一週間憂鬱だ、
そのために一層いつもよりうつむいて歩るいてゐる。
今夜の月と星はもう離れかけてゐる、
だが明日はまた我々の知らないところで、
また数十万年目に
相合ふ幾組かの星があらうとも知れない、
あるひは街で人々が騒ぎながらみるだらう、
また私は一人の同志を死なすかもしれない、
だが私はいづれにもせよ、
何時も感動をもつて星とさゝやく、
私の新しい生命について。
新しい未来について。
新しい問題について。
感動をもつて――、
お前とささやくことができるだらう。


青年の美しさ

新しいものよ、
あらゆる新しいものよ、
正義のために生れた
さまざまな形式を
わたしは無条件に愛す、
然も、君が青年としての
情熱をもつて
ふりまはす感情の武器であれば
それが如何なるもので
あらうとも私はそれを愛し、信頼す
私はおどろかない、
君の顔に
よし狡獪な表情が現れようとも
私は悲しまない、
君の行動に
臆病さがあらうとも
若し、それが君を守るものであるならば、
ましてや君の若い厳粛さと
青年の勇気は
なんと新しい時代の
蠱惑的な美しさをもつて
相手に肉迫してゐることだらう
青年よ、
我々は環視の只中にある、
あらゆるものに見守られてゐる。
熱心に祈りの叫びをあげながら
現実のつらさに
眼を掩つてゐる君の老いたる父や母にも――
吐息を立てゝゐる兄や妹にも――、
これらの身近なものは君を守る
だがとほくのものは
ただおど/\としてゐる許りだ。
信じたらよい、
君は夢の中の物語りをも――。
君のみる夢のなんと喜びに
みちた感動の彩りをもつものよ、
我々は知つてゐる
青年は青年の夢が
どのやうな性質の
ものであるかといふことを、
ふるへよ、
君の肉体を、
護れ、
君の感情を
そして君は入つてゆけ
もつとも旋律的な場所へ、
老いたるものにとつては
苦痛の世界であるが
我々青年にとつては
感動の世界で、ある処へ。


悪批評に答へて

卑怯な男に光栄な日が何日続くだらう、
彼の批評は一つの作品に
面とむかつてムンヅと組みついてくることをしない、
小股すくひや、後からの組みつき
あるひは通り魔のやうに
作品の上を横切つて
聞きとりがたい声で何やらつぶやいて通る
私の二百行の詩を五行の
印象批評で片づけてしまふ
彼の批評のすばらしさよ、
私の詩がヂャアナリズムに乗つた時
その瞬間彼は私の詩をとりあげた
その瞬間私は恥辱を感じた、
同時に彼が我々の陣容の
よき護り手ではなく
単なるヂャアナリズムの用心棒であることを暴露して。
彼のもつてゐる批評の尺度と
ヂャアナリズムの尺度との
何といふ偶然的な一致よ、
プロレタリア作家たちよ、
我々は批評を恐れてはならない、
私はほめられると嬉しい、
また悪く言はれると腹が立つ
だがそれはほんの眼をパチリと
まばたく間だけのことだ、
実は今では私は褒められても嬉しくなければ、
悪く言はれても腹がたたなくなつた、
真実な批評家のみが我々を感動させる、
彼を指して
理論や批評をもつて
大衆を正しい方向に導いてゐるものと考へちがひをするな、
実は彼は批評ではなく
大衆や作家にむかつて恐喝文を書いてゐるのだ、
脅やかしてまで大衆を
己れの方向にむかはせようとする
彼の理論は
将にファシスト的色彩を帯びてきた、
真理に熱心だといふこと――、
なんといふ涙ぐましいことか、
然しあまりに熱心さの故に
われわれは彼のやうに
恐ろしい独断
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