ふためにではなく
  生活のために生きてゐるのです。
といふほどに、今では大胆な言葉を
吐くことができます、
労働のために握りしめられた手を
私はそつと開いてみます、
そこには何物もありません
ただ憎しみの汗をかいてゐるだけです、
御安心下さい、
私は東京に落ちつきました。


自分の路・他人の路

すばらしい哉、
私は好むとほりの生活を
こゝまで、やり通して来た、
そしてこゝに誰に遠慮なく、怒り、泣き、歓喜し、
虚偽を憎むことが出来る、
片意地な奴等のために
階級的片意地をもつて答へてやれるし
潔白な友へは、
開つぴろげて魂を売り渡してやる、
潮のさし引きよりも
もつと移り変りの激しい
感情の使ひ跡をはつきりと私は知つた
人間へも、また猫へも、犬へも
花へも、樹木へも、
あらゆる人間以外のものにも
彼等の希望を代弁してやらう。

小さい頃の憧憬は消え去らない
青春の恍惚は去らないのだ、
一日、一日と水々《ママ》しく
むしろ是等のものが倍加される、
私の生活を封鎖しようとする奴のために
悪態を吐くことの
なんといふ喜びだらう。
死の中にあつて
死の存在を知らない馬鹿者のために
私は『死の歌』を歌つてやる、
生の中にあつて
生きてゐることを知らない者へも同様に――、
そして私は彼等を罵る、
――君等は、もう生きてゐないと、
青春を粗末にするものには
早く老いてしまへと祈つてやらう。
私は知らない
私や友の魂の行衛を、方向を――、
何処に昇つて行く梯子があり、
何処に君が降りてゆく階段があるかを、
私が知つてゐるのは
上へも下へでもなく困難な前方へだ、

私は自分の通る路を
自分の感情で舗装して進む、
他人の路ではなく自分の路で
他人の不安を借り物にするのではなく
自分自身の不安の路だ、
私は他人に私の路を、さし示すほど
勇気はもつてゐない
友は、諸君はまた、ひたむきに歌ふ
喜怒哀楽の良い楽器だ、
私もまた雨の中で感情の太鼓を打たう、
そして期待する晴天の日を、
私は疲労を忘れて
勇気ある鼓手たることを望む。


おとなしい人

なぐさまれない一日よ、
だが不満を捨てるゴミ箱はない、
味方にぶつぶついふことは
味方がたまらないだらう、
敵にむかつて自分の不満をさらけだすこと
つまり――敵に甘えることだ、
味方には愛情
敵には攻撃以外の何ものもなし、
さて、我々の不満よ、不満よ、
そのハケ口をどこにみつけようか、
それとも不平不満を
そのまゝじつと堪へて時間を喰ふか
それは良くない、
おとなしい人々よ、
不平を処理する方法は
七転八倒の苦しみの中から
引き出し給へ、
温順な人、
それは味方にも可愛がられる
そして敵にも愛される、
まあ、言はゞ階級闘争の
男メカケのやうなものだ、
私はさうしたおとなしさを軽蔑する。


数十万年目に相逢ふ月と星とに就いて

私はうつむいてあるく、
何を考へて歩るくと君はおもふ、
それはさまざまのことである、
つまらぬ出来事についても
たとへばユズの匂ひで濛々と部屋中を
とぢこめた銭湯に入つたことを考へながらあるく。
それから綿にアルコールをつけて
死んだ友だちの顔をふいてやつた時の
 ことを考へてあるく、
じつと地面をみつめてあるく。

私はものの観方を決して浅いとは思つてゐない、
もし私の視線が鉄の棒か、鋤《すき》であつたら、
二度とふたたび私の通つた後を
通ることができないほど
地面は私の視線で掘つくりかへされてゐるだらう
憎しみをもつて、あいつを見る、
あいつはその場で死ぬだらう。

私はいつものやうに
下うつむいて夜の街を通つた、
すると私とはアベコベに空を仰ぐ
ものものしい様子の大人や
子供の一団がゐるのに気がついた、
それは何かしら異常な出来事を好む人々が、
好んで立つ何時もの十字路であつた、
とほくに火事でもあるのか、

私は思はず人々のするやうに空を仰いでみた、
そこに不思議なものを見た、
空には何があつたか、
――それは親密な奴等のしやれた立話であつた。
そいつらは空でキラキラ光つて
いささか得意気にも見え
非常にひろい空間に
鷹揚に自分達の位置を占めてゐた、
それは一つの上向いた三ケ月様と、
その下にするどく光る金星と、
月の上部にはニブク光つてゐる土星であつた。
――近星《ちかぼし》は人死にがありますよ、
老人らしいのがこんなことをしやべつてゐた、
――今夜の月と星とは
 数十万年目に一度出逢つたんださうですよ。
その日の朝刊で知つて
誰やらがかう興奮しながらしやべつた、
みるみるうちに金星は
月の周囲をめぐりだした。

私は星の実在と
星が人間に与へる影響に就いて考へながら、
またしてもうつむきながら歩るきだした、
そして私はかう考へた、
あの黒い空に天文学者たちは
白いチョー
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