一枚一枚丁寧に吹いてすぎてゐた、
私は思はず呟いた
――一刻も早く
 こんなロクでもない
 平安を求める心を掃き出してしまへ、と。


今月今夜の月

人間の世界では
おれを殺さうとするのか、
生かしておかうとするのか、
どうしようとするのだ、
それとも俺の勝手次第であれといふのか、
誰か早く、おれの哀しみをさらふ
塵取りを持つて来てくれ。
生命の消[#「消」に「ママ」の注記]費を
それですくつて
遠くの方まで、林の中まで
海の果てまで
人間の見てゐないところへ、
月だけが俺を見てゐるところへ、
捨てに行つておくれ。
そして私は捨てられた、
若いのに姥捨山に――、
仰げば、一昨年の今月今夜の
この月は
政治に憑かれ伝単を持つて
波打際をうろついたものだ、
そして私は貫一のやうにではなく
お宮のやうに政治に足で蹴とばされた。
今はどんなに時間をかけて
泣いてゐようが、
喚めいてゐようが、
ぶつぶつ不平も言つてゐられる
交番の前も大手を振つて歩るけるし、
かういふ性質の
自由は困つたものだ

忘れたのか、
私よ、お前よ、
われらは依然として、
アジプロの詩人であり、
アジプロの詩人でなければならないことを。
早く、早く、
繊細な神経よ、
汀を去つて沖へ出てくれ、
早く、早く、
コメカミから頭痛膏をはぎとつてくれ、
中将湯で体が温まつたら、
男よ、女のやうな男に
おさらばをしてくれ、
生きながら
刺身になるやうな
生活のくるしみで横たはつてゐる
じつと動かぬ馬鹿々々しさに
誰か醤油をかけてくれ、
そして私は弾《はじ》けたのだ。


古城
 ――湖水の底に沈めるサロン――ランボオ

     1
高層建築の間から私は出た
広々とした場所へ――、
電車の停留所にはさまざまの服装をした人が立つてゐた
人々の頭がかしがつた袋のやうにみえた、
生活の疲労と哀愁とで
ザクザク鳴つてゐる小豆の袋のやうであつた、
一人の乞食が通つて行つて
ボロを長く地に引きずり
電車路を踏みきつて
古城のみえるあたりに出た
彼はそこでじつと城をとりかこむ
みどり色の古い水の面をみてゐた、
なにに感動したのか
或は悪感に襲はれたのか
乞食はブルブルと身ぶるひし突然顔をあげた
それから仕事を思ひ出した事務官のやうに
そはそはと歩るきだした、
その時、私もじつと古い水をみてゐた
乞食の後姿にむかつて
――謙遜といふことは乞食の第一の義務である、
といふ言葉を投げかけた、
そして心の中では呟やいた、
乞食よ、すべての市民は
お前のやうに謙遜だ――そして柔順だ、
かうして広い草地を見渡し
とほく石の門をみるとき
私は人間としての資格を失つたやうに身ぶるひするのだ、
すべての人間の魂は、静かな風景の中に沈む
詩人、ランボオの詩の一行のやうに――、
駅のある方角から
風はやさしくそよそよと吹いてきた
みどり色をたたへた美しさの
水のおもてをさつと吹きすぎる、
風は水のおもてや、水面に浮んでゐる水鳥や
たかく積まれた石にぶつかる、
風は日光を屈折させる、
石垣は光り、水も、風も光り、
みてゐる人間の心も反射する、
光りのいりみだれたチカチカとした白さ
たがひにするどさを競ふ二本の刃物のそれのやうに――
光つてゐないものは
うろつくことより知らない乞食のやうな群であつた、
彼等は謙遜だ、だから何ごとにも反射的ではない、
彼等はすべてを吸収し、収容しようとして
それができない、
彼等は何事もやりかけた仕事も泥の上に投げる、
与へる者が現れなければ
彼等は自分の物を投げて
それを自分で拾つて楽しんでゐる、

     2
私はここを立ち去ることができない
私は永久にそこを立ち去らないだらう
丁度、地球の天文学者が
シルシス・マジョル運河とか
マレー・アキダリウム湖とか
さまざまの名前を火星につけてゐるやうに
私は古い城にも、古い水にも、古い石垣にも、
私流に名前をつけて楽しむ
古城の遠い物語りを
近いところから語ること――
逆に古城の近い出来ごとを
遠いところから語らなければならない――、
この二つの矛盾は悲劇であることを知つてゐる
私の心と眼玉は
天文学者の対物レンズのやうに
距離の悲劇を経験してゐる、

     3
美しい周囲を
やけつくやうな眼で見渡してゐる
私の視線は石にぶつかつて跳ねかへる、
いつたんぶつかつた視線は
ふたたび眼の中にかへつてくる、
なんといふことだ――、行為は、
ふたたび、もとの位置に戻るために行はれた、
人々はむなしい努力と無力を嘆く、
昼も夜も、あらゆる時を空費し、
夢の中に、更に夢を重ねてゐる、
一人の生きた亡霊は
飾りのついた塗りの箱の上に腰かけてゐる、
箱の中には『歴史』といふ伝来物が充満してゐる、
千の万の生きた亡霊が
ガヤガヤとそのまはりを取
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