れ。
俺たちは決してお前を天上の物とは見ない。
それは何時でも俺たちの
激しい闘争の頭上に
お前を認めることが出来るからだ。
* * *
雲は俺たちの味方だ
晴れた日、彼はじつと動かないが
少しも滞つてゐるものでないことを知つてゐる。
じつと見つめると彼は
明日の低気圧と合するために
実に激しく動いてゐることを。
母親は息子の手を
冷血漢のやうに
ものを言はしてくれ。
俺は母親といふものを知らない、
どういふ形をしたもので
どういふ風に、息子を愛するかを。
母の愛情に対して
息子はどう答へ可きかを。
俺の母は咳きこみ
咽喉をゴックリと言はし
枕元のコップに八分目程、
鮮紅色の、この世に これ程、
鮮かな色がないと思はれる程の色素を吐いた。
四歳の俺は素早くこれを見つけ
誰彼のみさかひなく
『母ちやんは、赤いものを吐いたんだ――。』
と吹聴すれば
父は怖ろしい眼をして
グッと俺を睨まへたらう。
いま全く俺には当時の記憶がない。
かなり俺が成長してまで
父は口癖のやうにかう述懐した。
『あの時、金さへあれば
お前の母親を殺さなくても済んだ――』と
こいつは父の素晴らしい常識だ。
母を殺したのは
稼ぎのない父ではなかつた。
おれ達貧乏人は、斯うして
ろくに医者にもかけられずに
死を早めてゐるんだ。
母を殺したのは父ではない。
ブルジョアの仕業だ。
俺は率直にかう敵を憎めた。
母とは一体どんな形のものか
俺はそいつを見たことがないんだ。
一九〇〇年三月
レーニンは追放され
彼はイヱニセイ河に沿つて
三〇〇ウェ[#「ェ」は小さい「ヱ」]ルストの路を
夜も昼も橇をブッ飛ばした。
レーニンは宿場々々で
母やクルプスカヤをどんなにいたはつたか。
母の『手温め』の中に
たがひに手を差入れて温め合つた。
今年も、三Lデーがやつてきた、
毎年新らしい情勢の中に
レーニンはピチ/\と
俺達の実践の上に生きて現はれてくる。
同志諸君
俺たちのレーニン
愛情の火のかたまり
彼が俺たちの解放運動の為めに
厳寒の雪野原を
まつしぐらに橇を飛ばして
ロシアに帰つた光景を
まざ/゛\と想ひうかべよう。
豊多摩刑務所で
同志佐野博の母親が
接見所で息子と話が終つたとき、
同志佐野の手をギューッと握つた。
その息子の手は氷のやうに冷めたかつた。
『お前、なんてまあ冷めたいんだ
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