れらの人々の友である、
彼は世間並みの会話を
これらの人々と交すとき
これらの人々に愛される
だが一度真実に触れてゆくとき
人々はしだいに彼を去つてゆく
彼にとつては斯かる真実を
語るとき楽しみであるが
平穏を愛する人々にとつては
これが苦痛であることを知つたとき、
遂に彼はあらゆるものと
とほく去つて
人々の平和と彼の不幸との
無限大のへだたりを
つくらうかとさへ考へた
生命をこの世から断つことである、
あゝだが死に就いての慾望さへ
生の慾望に匹敵するほど
いやそれ以上に価値高いものを欲したから
死を選む勇気をもたなかつた
女との恋愛に就いても
金銭についても、交友についても
食慾、智慧
美、酒、賭博
あらゆる本能的なもの
全力的にこれを奪ひ去らうとする、
これらの品の所有者は誰れか、
あらゆる平凡人がこれを所有し、
多少なりともこれに満足してゐる
厚い壁を打破る
大きな掌はうごく、
快哉を覚えつつ盗みにゆく
あらゆるものから
あらゆる古い慾望の固守を
新しい彼の慾望の
鉄槌をうちふるつて打破る

     4
蠱惑的に優しい女が
哀願的な眼をもつてみるとき
彼は彼女の願ひに
答へてやつた瞬間
しだいに女の瞳孔に
優しい影が失はれてゆくのを発見する、
女の眼は新鮮になつたのか、
あるいは古くなつたのか、
女は古くなつたと悲しむ
彼は笑ひながら平然と
――否、それは新しくなつたのだ――といふ
貞操の所有を奪つた瞬間
彼は何かしら新しい所有に
移らなければならない
だが愚昧な女は
失つたものを
失つた後にをいても
いまだに夢のやうにその所有を信じてゐる。
そして失つた現実には
女は何の誇るべきものや
さらに新しい慾望をも抱かない
抱擁の中でただ男達の
小さな慾望の中に更に
もつと小さな慾望を住まはせてゐる、
そしてまた功利的な男は
これらの慾望の輪の中から
絶対に女の慾望が逃げださないやうに
さまざまな狡猾さで愛してゐる
彼はみぶるひする
あゝ、歴史は泥棒で、
すべて偉大なる敵は大なる慾望家であつた、
あらゆる敵を打倒すには
敵にひつてき[#「ひつてき」に傍点]する程
底知れぬ慾望をもたねばならない、
だが歴史は恬淡で
生活の海とは
いつも南国の海のやうに静かなもので
あることを望む人々に
彼がまざまざと生活の
生々しい慾望の波の高さを示すとき
人々は一斉に彼から眼を
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