」に傍点]な鮭皮靴《けり》の足跡は砂金のやうだ
海景
さくらんぼを喰べたい海の色よ青い色よ
まなつのうみの風の色よ
みな眼にしみる静かなる海景にたつて
わたしは女のふとももの肉をかぢつたので
わたしの義歯は
とけてながれて飛んでしまつた。
あんな浅瀬に
食慾をそそる赤い魚を二ひき
もつれあつて泳がしてをくのは危険だ
石を水に放つてやれ。
涼しい帆前船が浮んでゐる沈んでゐる
大きくふくれたり。小さくちぢまつたり
黄色い積荷がぴかぴか光る。
海いつぱいにひろがつてゐる軍艦に
しろいしやつぽ[#「しやつぽ」に傍点]がいちれつに
いかにも退屈に左右にならんでゐる
ずどん……と大砲を撃つてやつたら
兵隊がまりのやうにとびあがるだらう。
太陽がくるくる廻つてゐる真夏の海景に
わたしの貧乏までが水浴がしたいと
口からとびだして白眼を要求した
こんなぜいたくな海景は消えてしまへ
わたしにとつては無益の風景だ。
蝦夷
私の蝦夷は蠢めきにある
四周は荒海
寒冷の白さに凍えてしまひ
惨苦は四季に
慈母よりも柔和にめぐり来つて
五体は燃え尽きさうだ
憂悶の暮色に立つて
季節を愛する男
痩白の頬に手を触れて
存分に神に憎まれて笑つてゐる
海は絶えず新らしい匂ひを漂はし
砂丘を掘れば
春秋の夜光珠探しあてる。
北国人
四季の蒼穹
偉大なる顔の中の眼だ
そこに闘ふ男は血である
頭脳は棍棒のやうに重み
心臓は石斧の閃き
ああ我等北方人の頭上には
砧のやうに澄んだ蒼穹がある
或日は砂金を含むだ嵐
或日は霜花と濃霧の日
或日は野火の草木は炎上し
或日は清朗とした盆花の吹雪となる
我等よ
石斧と棍棒の進軍
久しく自然の肌を闘伐するもの
四季の蒼穹に生活し
期節の忍苦に呼吸するものは肥大となる
妊娠した石
月は実にたかく昇つた
くまどられた白銀の樹林の上に。
白い偉大な空地に
死よりも静かな石が
火のついた赤児のやうに
鋭い陣痛に泣き叫び
直立した感情はあくまで激動する。
春よ、
来よ、
受胎におののく圧迫と寒冷の季節から
石と石との間に
青いいのちの燃える日を、
無神の馬
私の虚無は
悔恨の苺を籠に盛つてゐる
私は喰べながら笑ひ泣き悲しみ怒り
朝日が昇るとけろりとしてゐた
愛するものは貝殻のやうに
脊中にしがみついて離れない
愛は永遠の喜ばしい重荷だ
街に放された馬
ああ それは私の無神の馬だ
毛皮は疲労して醜く密生し
光のない草地に平気で立つてゐる。
日没の樹
柔らかい黄金樹木は
いつぺんに音も無く倒れかける
人々は埃の中で蘇生した
影は重なり合ひ無数に馳けだす。
山火事のやうに
輝やくなかに立つてゐるのは
新らしい病気を憬れてゐる
労役に疲れてゐる家畜の眼だ。
火は燃え
街の黒い多角形の空いちめん
死滅の揺籃はゆらぎ
そして大きな児供は夢を見始める。
結晶されたもの
慾情
それは私の樹の実だ
波と押し寄せる美しいものだ
私の馬に与へられた積荷だ。
逃れようとする愚と
廻り路をしようとする
空々しい努力を廃せ
私の四肢は無限な土の上の児供
絶えず動きよく笑ふ者よ。
地上に棲家ももてない神は
白眼をつかつて呼びかける
私は結晶された血
安易な眠りを欲しない。
雪の夕餉
背後から紫色にまた
いくつもの紅の輪を重ねた風が
小児のやうに馳ける。
黄昏どきの雪の街
ほのぼのと魚の片腹身を焼く
夕餉の匂ひが煙つて来た。
私の病患は実に淑やかに
北方の白い沼地に沈むやうだ
失はれてゆく色濃い雪のやうに
厚い毛皮の重たさに張りつけられ。
夜の暗がりは真先に私を射て
激しい青ざめた獣の
枯れた樹間の寝床は
淋しい霜に閉ぢこめられる
窓をまもる男
その高窓は何事のために
まるみを帯た声音で終日鳴るのか
その窓が鳴れば
その窓の傍に立つた
背の高い男も晴ればれとしてくる
男は薄い頬とたくましい咽喉仏をもつた
守護神のやうにもきらめいて
緑色に燃える高窓をまもり暮らす。
掌に生へた草
せんさいな風に生きて
ふしぎに頬を打たれることもなく
私の占める座席は
針程のわづかな場所であるのか。
だがなんといふ青草の
精気はつらつとしてゐることか
私は草の食事をしてゐるのを見たことがないのに
私の住ま居の一隅に
いつのまにか歩いてきてゐるのだ
胃の腑のないものが
どうしてあんなに健康であらう。
私はいま掌の中に
草の生へるのを感じて慄然となる
まつたく彼は私の頭の上にでも、
肩の上にでも生へかねないのだ。
初雪の朝に
羞恥な女が谷間に下りたつたやうに
一夜にして私の眼界を洗清めた
ものしづかな白い世界よ
私はこの冷えた冬の期[#「期」に「ママ」の注記]節を
雷鳴のやんだあとの
深淵の傍らにゐ
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