を吹き吹きそつとくちづけの真似をしたり横向きに白い肌をみせびらかして私等の足調《あしどり》を乱す気なのか、えたいの知れない蛇のやうな妖術者、君等は限界の広さに男を探り強くたくましき理智の展望台をもつた冷たき氷原をすゝむ南極探険船のごとく、または笑ひは海のごとく従順のしとねに眠る勝利者の凱旋歌、わたしの可愛いマリー、ローランサンの女達よ、きみらは[#「は」に「ママ」の注記]手にした赤いペルシャ扇はなにか、それは情慾の焔をまぎらす風の扇だらう黒い眼鏡は妖婦のやうにくまどられ情慾の春画を覗く偽りの近眼病者、ぶらん[#「ぶらん」に傍点]とあへん[#「あへん」に傍点]に酔つたふりをする横着な舞踊役者。そつとしづかに介抱の手をまつ朝がたの泥酔であらう。
わたしの可愛いマリー、ローランサンの女達よ神秘と幻影の髪飾りはそのまゝにたゞ偽りのペルシャ扇を地に捨て軽い飛ぶやうな足どりでいらつしやい私はしつかりときみらを胸に抱き踊り踊りのあひまあひまに、おたがひがねば土の匂ひを嗅ぎあひませう、たゞ嗅いだばかりでも青春の幸福ではありませんかわたしは笑ひ笑ひのこのつたない散文詩の一篇を髪ながく色白のあらゆる地上のローランサンの女に贈る――一九二四、一――


新聞紙

けさも私は寝床のなかで
不眠症と神経過労の眼を動かし
病院船の
患者のやうにをちついて
文明病の処方箋を読みました
そこに盛られたさまざまの薬
恐怖と醜悪の散楽
みな利きめの
ありすぎた人々の報告です。
強盗殺人犯の脱監
密通した令夫人
鉄道線路の飛び込自殺
××氏の毒物嚥下
山林中の強姦未遂。
しづかな朝の単調に
わづかな胡椒を
振りかけたばかりの食膳
私の味覚はそんなぐらゐの
甘つたるい料理は
喰ひあきた舌なのです
もつと もつと
腕利きのコックを雇つて下さい
この現代の味覚は
もるひね愛好者の
たゞれた舌です
ねばりこく脂こい
情感にふるへるやうな
わたしは料理をのぞむのです。

私の愛読する処方箋よ
もつと奇抜な
構想の報告をしたりしたいのです。


散文詩 泥酔者と犬

酔ひしれた足取りは螺旋階段を廻るやうななかば快感と不安の平地を私はよろよろと泳ぎ出した、街は真夜中の沈思でろくでもない情念のトランプの真最中だらう、どこの屋根屋根の角度を仰いでも妙に糞落つきに沈着な冷たい陰影の中に三角の眼をぐるぐると廻転さしてゐるし電信柱の行列が手ぢかな所に立つてゐるのから順々に雪の地上にばたんばたんと恐ろしい音響を立てて横に倒れて了ふし、それは静かなうちに賑やかな街の風景であつた、私はまづこのとろんこの眼をして寝静まつた大通の中からなにかしら動物の相棒を探してやらうといふ考へから道路の真中に震へた感情の両足の安定をたもつために少からず脳神経をなやましぐつと反り身になつて辺りをぎろぎろと嗅ぎ歩いたが私の瞳孔は散大して了つて愛する友人の一人も発見することが出来なかつたのです、地球壊滅の日に生存した人間のやうに生物をひた恋しく私はさびしい気持であてもなく探しあるいたがひつそりとした深夜の空が明るいばかり月は北国の月の青さで丸さで照り返してもみんな青い白さである街はあんえつの湯たんぽの上気でもうろうとねむつて居るのです、ちやうど其時ですつひ足もとの大地の上にひろびろと青い冬の明るい雪にいつぴきの黒くくまどられた犬が足のみぢかい犬がアンリー、ルーソーの犬がひよつこりと突立つてゐたのです、私はこの善良なる友人を得た喜びにじつと上から犬を見下ろしてゐたのです、すると遠くから「おうおうおうおう」と犬の遠吠えが聞えると私の友人の犬も「おうおうおうおう」とどうやら涙をながして吠えるやうです、するとあつちこつちの暗がりから「ぞろぞろぞろぞろ」と色々の服装をした犬の仲間の奴が出てきて五匹も十匹も出てきてべらべらの長い耳を動かし前肢をきちんと揃へてみんなで揃つて空に向つて吠えるのです、じつと見てゐた私はいつの間にか犬の感情の中に「おうおうおうおう」とみんなといつしよになつて吠えてゐたのです私の犬は急に月光が怖ろしくなつて尻尾をまるめてしまひ空と大地の限りなくひろびろとした不可思議さにまたは人間の呪詛する「おうおうおうおう」といふ遠吠にけんめいな犬の一匹となつて平穏に熟睡した月光の街にぽかんと突立つて居たのでした―一九二四、一、二〇―


散文詩 白痴アンリー・ルーソー

誰がこの幅広い道路を真直に歩行する馬鹿者が居るか、恐らくは皆なよなよとした感情の通行で路傍のハモニカにも耳を傾けるロマンティストの幌馬車に乗つた青白い紳士の群ではないかあの愚鈍なる馬鹿者、仏蘭西《フランス》の税関吏アンリ、ルーソーの足つきの真似が出来るか灰色の純情を押しとほした歩行の匂ひでも嗅いで見ようとする悪人が一人でも居るか。評価された人間の相場は
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