殴る
小熊秀雄
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)他人《ひと》さまの
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)窺ひ[#「窺ひ」は底本では「窮ひ」]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ひら/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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(一)
俺はつくづくと考へる。世の中の奴らは、もちろん嘘で固まつてゐるといふ事実だ。
情なくなるから、あんまり他人《ひと》さまのことはいふまい。手近なところで、俺の信じてゐる彼女の態度はどうだ、だんだん世間なみに嘘をおぼえこみ、なんにもないところから、鶏を飛び出させたりする手品師のやうな真似を始めだした。
――真個《ほんと》うにお可笑な方ね、お金が無くなれば、乞食のやうな惨めな気もちになつてしまふのね。
彼女の観察は当つてゐた、しかし俺は決して不自然なことゝは思つてゐない。
俺は社会主義運動を始めるのだとその抱負を語つても、彼女はてんで対手にしてくれない。
――貴方なんて、生まれつきのブルジョア思想よ、どうしてそんな荒つぽい運動が出来るものですか。
副食物のこと、室内装飾のこと友人との交際のこと等色々のことに、贅沢三昧をいふことに彼女は腹を立てゝゐた。
俺が無産階級の幸福のために、その第一線にたつて、彼らとゝもに、黒パンとか、またロシアのフセワロード、イワノフの『ポーラヤアラビア』の作中に現れてくる人々のやうに、煮込みの中に白樺の皮を交ぜたものや、馬の糞の中の燕麦の粒をひろつて食べたり、人間の肉や、鼠の肉などを、喰はなければならないやうな、食物的な試練に直面した場合にも、到底堪へることが出来ない男であると考へてゐるらしい。
――馬鹿野郎、真のプロレタリアは俺のやうに、金銭に敏感でなければならないんだ。
彼女はだまつてしまつた。
最近では、まつたく観念をしたものと見える、俺が金がはいると王者か騎士のやうに、街の酒場といふ酒場や、淫売屋の梯子飲みをして廻り、また財布の中に一銭の金も無くなると、乞食か墓穴掘のやうな、陰鬱な、気難かしい顔をして、ストーブの傍に立膝をしてゐる俺の姿を、彼女はひとめ見たゞけでぞつとするらしい。しかし彼女は蛇のやうにとぐろを巻いて罵つてゐる俺の仏頂面を見ることをすつかり最近では馴れつこになつ
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