きかしたり、ベートーベンの交響楽を弾いてやつたりする、馬鹿気た教育法がある。
これを胎教とかいふさうだ。
神様の存在をも信じられないやうな俺が、どうしてこんな電信柱に説教をする様な愚にもつかない実験を信じることができ様か。
それまではてんで鼻汁《はな》もひつかけなかつた、この教育法を、その頃から妙に真理の様にも考へさせられだした。
――ずいぶん、お飯《まんま》を喰ふぢやないか、
彼女は楽隊にはやし立てられてゐるかの様に、調子に乗つて何杯も何杯も、お替りをして喰べた。
――でも赤ん坊と二人分喰べるんですもの。
と嬉しさうに答へた。
成程、彼女と胎児とは、同じ血脈に結びつけられ、同じ呼吸に生きてゐるものに相違ない、彼女が怒れば腹の子も怒り、悲しめば胎児もともに、悲しむものであるらしい。
そこで俺は彼女を、興奮させる様なことのない様に心掛た。台所の雑巾がけをしたり、水汲みをしたり惨めな下僕となつた。
決して彼女の機嫌を伺つたり、血を吐くと脅喝されたので、それを怖れたからではない、やがて出産するであらう『我等の仲間』のために敬意を表したのである。
或る日、まつ青な顔になつて彼女は室中を歩き
――亀の子たはし、の様な刺の生へた球が、お腹の中を駈廻る、きつと子宮外妊娠に違ひないと思ふわ。
と泣わめいた。
しかしこれは嘘の皮であつた。何ごとかの前兆であつたのだ。
その後数十日経ち彼女は『我等の仲間』を、ろく/\陣痛もせず馬よりも容易に分娩したのであつた。
いまでは全く健康体となつた、皮膚は頑丈で、反撥力に富み何程殴つても傷つくことがない、赤児もすく/\と生長した。
健康が恢復するとともに彼女は日増に嘘をいひだした。
しかも彼女は、プロレタリア精神の欠けた、もつとも恥づべき大それた陰謀を企てゝゐた。
『料理と色彩』『料理と立体感』『料理と感覚』等の料理の絵画的方面を主題とした争ひ、のあつた日の出来ごとであつた。
またキャベツの味噌汁を三日続けて喰はしたことに端を発し、二人は獣のやうに罵り合つた。
俺は不意に彼女を襲つた。
彼女は泣《なき》そしてすべてを理解した。
――食物の調理などを、そんなに単純に考へてゐるのか、我々の生活に重大なものを、よく考へて御覧、同じ大根でもこんな無態な切様があるか、豚だつてもつと食物に敏感さはあるよ。
――貴
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