人となる。
(三十歳)
同 九月 三日 電磁気廻転を発見す。
一八二三年 ブランド教授に代って講演す。
同 塩素を液化す。
一八二四年 一月 八日 ローヤル・ソサイテーの会員となる。
同 ベンジンの研究。
一八二五年 ガラスの研究。アンデルソン助手となる。
同 二月 王立協会の実験場長となる。金曜夕の講演を始む。
一八二七年 「化学手細工」を著す。ブランド教授辞職す。
一八二九年 ウールウィッチ海軍大学の講師となる。
同 五月二十八日 サー・デビー逝く。
一八三一年 電磁気感応の発見。「電気の実験研究」第一篇。
(四十歳)
一八三二年 同第二篇。
一八三三年 同第三篇、第四篇、第五篇、第六篇(発表は翌年)
一八三四年 同第七篇、第八篇、第九篇(発表は翌年)。
夕食の招待も断わり、専心研究に従事す。
一八三五年 同第十篇。
同 十二月二十四日 年金を受く。
一八三六年 灯台の調査を嘱託せらる。
一八三七年 同第十一篇。
一八三八年 同第十二篇、第十三篇、第十四篇、第十五篇。
一八三九年 健康を害す。
一八四〇年 同第十六篇、第十七篇。
同 教会の長老となる。
一八四一年 健康を害し、スイスに旅行す。
(五十歳)
一八四三年 同第十八篇。
一八四四年 教会の長老をやめらる。
一八四五年 同第十九篇、第二十篇、第二十一篇(発表は翌年)。
一八四六年 フィリップスへの手紙にて電磁気振動を論ず。
一八四八年 同第二十二篇。
一八五〇年 同第二十三篇、第二十四篇、第二十五篇、第二十六篇、第二十七篇。
一八五一年 同第二十八篇、第二十九篇(発表は翌年)。
(六十歳)
一八五三年 狐狗狸《こくり》を研究す。
一八五四年 (チンダル王立協会の物理学教授に任ぜらる。)
一八五六年 復氷の発見。
一八五七年 ローヤル・ソサイテーの会長に推挙されしも辞退す。
一八五八年 ヴィクトリア女皇ハンプトンコートに邸宅を賜う。
一八六〇年 再び教会の長老となる。
一八六一年 王立協会の教授をやむ。
(七十歳)
一八六二年 三月 十二日 最終の研究。
六月 二十日 最終の金曜夕の講演。
一八六三年 ロンドン大学の評議員をやむ。
一八六四年 教会の長老をやむ。
一八六五年 王立協会管理人をやむ。灯台調査をやむ。
一八六七年 八月二十五日 逝く。
[#ここで字下げ終わり]
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参考書類
ファラデーの伝については、
第一に、
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The Life and Letters of Faraday. Dr. Bence Jones.
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[#ここから横組み]1870 年. 二巻. 385 頁および 491 頁.[#ここで横組み終わり]
[#ここから1字下げ]
おもにファラデーの手紙によったもので、最も確実な伝記に違いない。しかし読んで興味津々たるものとはいえない。ファラデーの書斎、実験室等の画もはいっている。旧《ふる》い本で絶版になりて手にいりにくい。著者のベンス、ジョンスという人は王立協会の秘書役をしていた人で、そのため材料を多く集められたのである。
[#ここで字下げ終わり]
第二に、
[#ここから2字下げ]
Faraday as a Discoverer. John Tyndall.
[#ここから12字下げ]
[#ここから横組み]1868 年初版. 1870 再版. 199 頁.[#ここで横組み終わり]
[#ここから1字下げ]
チンダルはファラデーの後任として王立協会の教授になった人で、講演が上手であり、世才もあり、有名だった人である。この本はおもに研究の方面からファラデーの事を書いたもので、学理の事があるが決して難解ではなく、良く書いてある。この本の終りの所にファラデーをゲーテに比し、自分を暗にシ※[#小書き片仮名ル、1−6−92]レルに擬して、シ※[#小書き片仮名ル、1−6−92]レルがゲーテよりも生き長らえたという風な記事が
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