ら顧みて、決してこの二つの条件を備えておるとは思わない。ただ最初の試みをするのみである。
 科学者の中で、特にファラデーを選んだ理由は、第一[#「第一」に傍点]に彼は大学教育を受けなかった人で、全くの丁稚小僧から成り上ったのだ。学界にでは家柄とか情実とかいうものの力によることがない、腕一本でやれるということが明かになると思う。また立身伝ともいえる。次に[#「次に」に傍点]彼の製本した本も、筆記した手帳も、実験室での日記も、発見の時に用いた機械も、それから少し変ってはいるが、実験室も今日そのまま残っている。シェーキスピアやカーライルの家は残っている。ゲーテ、シルレルの家もあり、死んだ床も、薬を飲んだ杯までもある(真偽は知らないが)。ファラデーのも、これに比較できる位のものはある。科学者でファラデーほど遺物のあるのは[#「遺物のあるのは」に傍点]、他に無いと言ってよい[#「他に無いと言ってよい」に傍点]。それゆえ、伝記を書くにも精密に書ける。諸君がロンドンに行かるる機会があったら、これらの遺物を実際に見らるることも出来る。
 第三に[#「第三に」に傍点]、何にか発見でもすると、その道行きは止めにして、出来上っただけを発表する人が多い。感服に値いしないことはないが、これでは、後学者が発見に至るまでの着想や推理や実験の順序方法について[#「発見に至るまでの着想や推理や実験の順序方法について」に傍点]、貴ぶべき示唆を受けることは出来ない。あたかも雲に聳《そび》ゆる高塔を仰いで、その偉観に感激せずにはいられないとしても、さて、どういう足場を組んで、そんな高いものを建て得たかが、判らないのと同じである。
 ファラデーの論文には、いかに考え、いかに実験して、それでは結果が出なくて[#「結果が出なくて」に傍点]、しまいにかくやって発見した、というのが、偽らずに全部書いてある。これでこそ発見の手本に[#「発見の手本に」に傍点]もなる。
 またファラデーの伝記は決して無味乾燥ではない。電磁気廻転を発見して、踊り喜び、義弟をつれて曲馬見物に行き、入口の所でこみ合って喧嘩[#「喧嘩」に傍点]をやりかけた壮年の元気は中々さかんである。莫大の内職をすて[#「莫大の内職をすて」に傍点]、[#「莫大の内職をすて[#「莫大の内職をすて」に傍点]、」は底本では「莫大の内職をすて、[#「大の内職をすて、」
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