受動的抵抗の理論と實行
エム・ケー・ガンヂー
福永渙訳

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]畫が
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 私は、この「インデイアン・オピニオン」の記念號が發刊される時には、母國に到着してゐないにしても、少くともフエニツクスから遠く離れてゐるであらう。ところで、私はこの特別號を發刊するに至つたところの私の衷心の思想を置土産にしたいと思ふ。受動的抵抗がなかつたら立派な※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]畫があつて、極めて重要なインデイアン・オピニオンの特別號はこの世に現れなかつたであらう。インデイアン・オピニオンは、過去十一年間、質實にして謙虚な態度で、我が同國人と南アフリカのために貢獻しようと努力して來たのであつて、この十一年間は、彼等が恐らく一度は通り拔けなければならなかつた最も危急な時代であつた。それは、全世界の視聽を集めて受動的抵抗の起源と發展とを刻みつけた時期である。
 受動的抵抗といふ言葉は、過去八年間の印度人社會の活動に適合しない。吾が國語でそれと同意味の語は、それを英語に飜譯すると、「眞理の力」を意味する。私はトルストイがそれを「精神の力」又は「愛の力」と呼んだと思ふが、全くその通りである。
 それが極端に用ひられると、この力は金錢上又は他の物質な助力から獨立するのである。それは腕力や暴力から離れることは勿論である。實に、暴力はこの偉大な精神の力の否定である。この精神の力は暴力を囘避せむとする人々によつてのみ養成され、使用されるのだ。それは個人によつても團體によつても使用され得る力である。又それは政治上の問題にも家庭上の問題にも使用が出來る。かくの如くそれが廣く萬般のことに用ひられるのは、その永遠性と、打勝ち難い強い力によるのだ。それは男にも、女にも、子供にも同樣に使用される。それは、暴力によつて暴力に報いることが出來ない時に、弱者によつて用ひられる力だと云ふのは全然誤りである。この誤謬は、英語の表現の不完全から生ずるのだ。自分は弱者であると考へて居る人々には、この力を用ひることは出來ない。人間のうち
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