誓約でもなければ誓言でもない。スワデシの條件を出來るだけ守らうと云へば、スワデシの誓ひを立てたことになるのなら、總督から勞働者に至る大勢の人民の中で、スワデシの誓ひを立てないものは極く少數となるであらう。しかし、吾々はかかる範圍を拔け出して、一層高い目的を目指したいのだ。吾々が考へるやうな行爲と、上に述べたやうな行爲との間には、直角と鋭角の相違のやうに大變な相違があるのだ。そして、吾々がこの精神をもつてスワデシの誓ひを立てるならば、大なる誓を立てることは、ほとんど不可能に近いことが明かとなるであらう。
 長年の間この問題に關して熟考した結果、私が自ら完全に論證し得ることは、吾々は吾々の衣服に關してのみ――木綿、絹、毛織物の如何を問はず――十分なスワデシの誓を立て得るといふことである。この誓ひを守るに當つても、吾々は初めの間は多くの困難に出遭はねばならぬのであつて、それは當然のことである。
 吾々が外國製織物を擁護するのは、深い罪を犯すことになるのだ。農業に次いで重要なる職業を吾々が見棄てたので、吾々はカビール(印度聖典中の詩人にして紡織者)がそれがために生れ、それを潤飾したところの職業
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