全部破棄する。」
二
スワデシの誓約を遵守するためには、手紡ぎの絲をもつて作られた手織の衣類のみを用ふる義務がある。印度の綿で紡がれ、印度で織つた衣類でも、その絲が輸入されたものならば、それはスワデシの衣類とは云へない。印度に於て、國産の綿を國産の紡車で紡ぎ、かくして得た絲を國産の織機で織つたものを用ふる時に、それは初めて完全なのだ。たとひ吾々が輸入された機械で織つた衣類のみを用ふる場合でも、右の誓約にあてはまることとなるが、それでは不完全だ。
上述の制約されたスワデシの誓約者は、國産の衣類のみを用ひるといふだけではまだ十分でないことを私は附言したい。彼等はなるべく、この誓ひを他の一切の品物にも及ぼすべきである。
英國人の所有する工場
私は、印度には、印度人の株主を入れない英國人所有の工場があるといふことを聞いてゐる。若しそれが眞實なら、私はかかる工場で製造された衣類は外國製衣類であると考へたい。且つ又かかる衣類は惡意の穢れに浸みてゐるのだ。かかる衣類は、それがどんなによく出來てゐても、避けなければならぬ。
多くの人々は、印度の工場で織つた織物を使用すれば、スワデシの誓ひの必要條件にあてはまるものと信じてゐる。事實は、最も美しい織物は、印度以外で紡がれた外國産の綿から作られるのである。だから、かかる織物の使用によつて得る唯一の滿足は、それが印度で織られたといふことである。手織機を使用しても、極く美しい織物には、外國製の絲のみを用ひるのだ。かかる織物の使用は、スワデシの遵守と相反するものである。サチヤグラハ即ち眞理の把持はスワデシに於ても必要である。男子が「たとひ下帶一つでゐなければならぬとしても、純國産織物のほかは用ひない」と云ふ時、婦人が「たとひ僅かに婦人の品位を保つに足る衣類だけしか着ることが出來なくなつたとしても、純粹のスワデシを守る」と云ふ時、初めて吾々はスワデシの大誓約を果すことが出來るのである。若し數千の男女がこの精神をもつてスワデシを誓ふならば、他の者は出來る限り彼等を模倣しようとするであらう。その時、彼等はスワデシの光で彼等の衣類戸棚を檢査し始めるであらう。私は敢て云ふが、種々の快樂や身體の裝飾に執着せざる者は、スワデシ運動を進める大なる推動力となり得るのだ。
經濟的救濟の鍵
印度では、一般
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