すべての外國製布を破棄する必要がある。若し吾々が、外國製布の使用が誤りであること、それが印度に莫大の損害を與へたこと、織布者の階級をほとんど滅したことを會得するならば、かかる罪惡の穢れに浸みた織物はこれを破棄するのほかはない。この點に關して、スワデシとボイコツトの區別を理解する必要がある。スワデシは宗教的な觀念である。それはすべての人に課せらるべき當然の義務である。スワデシの誓ひを懲罰、若くは復讐の精神ととつてはならぬ。スワデシの誓ひは、外面的な幸福を目的とするものではないが、ボイコツトは全然世間的な、政治上の武器である。ボイコツトは惡意と責罰の願望に基くのだ。そして私は、ボイコツトに依願する國民は終局に於て損害を受けるほかないと思ふ。永久に|眞理の把持者《サチヤグラハ》たらんと欲する者は、いかなるボイコツト運動にも參加し得ないのであつて、|眞理の把持《サチヤグラハ》はスワデシなくしては不可能である。私の考では、それがボイコツトの意義であると思ふ。從來の意見では、ローラツト法案が撤去せらるるまでは英國製品をボイコツトしなければならぬのであつて、同法案の撤去と同時にボイコツトは終結すべきやう考へられてゐた。かかるボイコツトの計畫では、日本や他の外國の製品は、たとひそれが品質の惡いものでも、これを用ひてもいいことになつてゐる。外國製品を用ふべきであるとすれば、私は、英國と政治的關係をもつてゐるのだから、英國の製品のみを用ひるであらう、そしてその行爲を正當だと考へるだらう。
英國製品のボイコツトを宣言する以上、吾々は英國人を罰したいといふ願望をもつてゐると云はれても仕方がないのだ。しかし、吾々は英國人と爭つてゐるのではない。吾々は統治者たちと爭つてゐるのだ。サチヤグラハの[#「サチヤグラハの」は底本では「サチアグラハの」]法則に從へば、吾々は統治者に對しても惡意を有つてはならないのである。そして、惡意を有つてはならないのだから、ボイコツトに信頼するのは正しいとは云へないのだ。
スワデシの誓ひ
上述の如き制約されたスワデシの誓ひを完全に守るために、私は次ぎのやうな誓約文を人々に勸めたい。
「神を證人として、私は今日から、自分の使用する衣類は、印度の綿、絹、羊毛をもつて、印度で製造された衣類のみを用ふること、外國製衣類の使用を止め、私の所有する外國製衣類は
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