》ふことが出來《でき》る。
 以上《いじやう》を概括《がいくわつ》して其《その》特質《とくしつ》を擧《あ》げると、神佛《しんぶつ》は尊《たうと》いもの、幽靈《ゆうれい》は凄《すご》いもの、化物《ばけもの》は可笑《おか》しなもの、精靈《せいれう》は寧《むし》ろ美《うつく》しいもの、怪動物《くわいどうぶつ》は面白《おもしろ》いものと言《い》ひ得《う》る。
       四 化物の表現
 此等《これら》樣々《さま/″\》の化物思想《ばけものしさう》を具體化《ぐたいくわ》するのにどういふ方法《はうはふ》を以《もつ》てして居《ゐ》るかといふに、時《とき》により、國《くに》によつて各々《おの/\》異《こと》なつてゐて、一|概《がい》に斷定《だんてい》する事《こと》は出來《でき》ない。例《たと》へば天狗《てんぐ》にしても、印度《いんど》、支那《しな》、日本《にほん》皆《みな》其《その》現《あら》はし方《かた》が異《こと》なつて居《ゐ》る。龍《りう》なども、西洋《せいやう》のドラゴンと、印度《いんど》のナーガーと、支那《しな》の龍《りう》とは非常《ひぜう》に現《あらは》し方《かた》が違《ちが》ふ。併《しか》し凡《すべ》てに共通《けうつう》した手法《しゆはふ》の方針《はうしん》は、由來《ゆらい》化物《ばけもの》の形態《けいたい》には何等《なんら》か不自然《ふしぜん》な箇所《かしよ》がある。それを藝術《げいじゆつ》の方《ちから》で自然《しぜん》に化《くわ》さうとするのが大體《だい/\》の方針《はうしん》らしい。例《たと》へば六|臂《ぴ》の觀音《くわんのん》は元々《もと/\》大化物《おほばけもの》である、併《しか》し其《その》澤山《たくさん》の手《て》の出《だ》し方《かた》の工夫《くふう》によつて、其《その》手《て》の工合《ぐあひ》が可笑《おか》しくなく、却《かへ》つて尊《たうと》く見《み》える。決《けつ》して滑稽《こつけい》に見《み》えるやうな下手《へた》なことはしない。此處《こゝ》に藝術《げいじゆつ》の偉大《ゐだい》な力《ちから》がある。
 此《この》偉大《ゐだい》な力《ちから》を分解《ぶんかい》して見《み》ると。一|方《ぽう》には非常《ひぜう》な誇張《こてう》と、一|方《ぽう》には非常《ひぜう》な省略《しやうりやく》がある。で、これより各論《かくろん》に入《い》つて化物《ばけもの》
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