るに、此《この》方面《はうめん》に就《つい》ては私《わたし》は餘《あま》り多《おほ》く知《し》らぬが、要《えう》するに幼稚《えうち》極《きは》まるものであつて、規模《きぼ》が極《きは》めて小《ちい》さいやうである。つまり歐羅巴《ようろつぱ》の化物《ばけもの》は、多《おほ》くは東洋思想《とうやうしさう》の感化《かんくわ》を受《う》けたものであるかと思《おも》ふ。
 以上《いじやう》述《の》べた所《ところ》を總括《そうくわつ》して、化物思想《ばけものしさう》はどういふ所《ところ》に最《もつと》も多《おほ》く發達《はつたつ》したかと考《かんが》へて見《み》るに、化物《ばけもの》の本場《ほんば》は是非《ぜひ》熱帶《ねつたい》でなければならぬ事《こと》が分《わか》る。熱帶地方《ねつたいちはう》の自然界《しぜんかい》は極《きは》めて雄大《ゆうだい》であるから、思想《しさう》も自然《しぜん》に深刻《しんこく》になるものである。そして熱帶《ねつたい》で多神教《たしんけう》を信《しん》ずる國《くに》に於《おい》て、最《もつと》も深刻《しんこく》な化物思想《ばけものしさう》が發達《はつたつ》したといふ事《こと》が言《い》へる。縱令《たとへ》熱帶《ねつたい》でなくとも、多神教國《たしんけうこく》には化物《ばけもの》が發達《はつたつ》した。例《たと》へば西藏《ちべつと》の如《ごと》き、其《その》喇嘛教《らまけう》は非常《ひじやう》に妖怪的《えうくわいてき》な宗教《しうけう》である。斯樣《かやう》にして印度《いんど》、亞刺比亞《あらびや》、波斯《ぺるしや》から、東《ひがし》は日本《にほん》まで、西《にし》は歐羅巴《ようろつぱ》までの化物《ばけもの》を總括《そうくわつ》して見《み》ると、化物《ばけもの》の策源地《さくげんち》は亞細亞《あじあ》の南方《なんぱう》であることが分《わか》るのである。
 尚《なほ》化物《ばけもの》に一の必要條件《ひつえうぜうけん》は、文化《ぶんくわ》の程度《ていど》と非常《ひぜう》に密接《みつせつ》の關係《くわんけい》を有《いう》する事《こと》である。化物《ばけもの》を想像《さうざう》する事《こと》は理《り》にあらずして情《ぜう》である。理《り》に走《はし》ると化物《ばけもの》は發達《はつたつ》しない。縱令《たとひ》化物《ばけもの》が出《で》ても、其《それ》は理性的《
前へ 次へ
全14ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
伊東 忠太 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング