建築の本義
伊東忠太
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)近頃《ちかごろ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)六《むづ》ヶ|敷《し》い
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)已《やむ》を[#「已《やむ》を」は底本では「己《やむ》を」]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いち/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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近頃《ちかごろ》時々《とき/″\》我輩《わがはい》に建築《けんちく》の本義《ほんぎ》は何《なん》であるかなどゝ云《い》ふ六《むづ》ヶ|敷《し》い質問《しつもん》を提出《ていしゆつ》して我輩《わがはい》を困《こま》らせる人《ひと》がある。これは近時《きんじ》建築《けんちく》に對《たい》する世人《せじん》の態度《たいど》が極《きは》めて眞面目《まじめ》になり、徹底的《てつていてき》に建築《けんちく》の根本義《こんぽんぎ》を解決《かいけつ》し、夫《そ》れから出發《しゆつぱつ》して建築《けんちく》を起《おこ》さうと云《い》ふ考《かんが》へから出《で》たことで、この點《てん》に向《むか》つては我輩《わがはい》は衷心《ちうしん》歡喜《くわんき》を禁《きん》じ得《え》ぬのである。
去《さ》りながらこの問題《もんだい》は實《じつ》は哲學《てつがく》の領分《れうぶん》に屬《ぞく》するもので、容易《ようゐ》に解決《かいけつ》されぬ性質《せいしつ》のものである。古來《こらい》幾多《いくた》の建築家《けんちくか》や、思想家《しさうか》や、學者《がくしや》や、藝術家《げいじつか》や、各方面《かくはうめん》の人《ひと》がこの問題《もんだい》に就《つい》て考《かんが》へた樣《やう》であるが、未《いま》だ曾《かつ》て具體的《ぐたいてき》徹底的《てつていてき》な定説《ていせつ》が確立《かくりつ》されたことを聞《き》かぬ。恐《おそ》らくは今後《こんご》も、永久《えいきう》に、定論《ていろん》が成立《せいりつ》し得《え》ぬと思《おも》ふ。若《も》しも、建築《けんちく》の根本義《こんぽんぎ》が解決《かいけつ》されなければ、眞正《しんせい》の建築《けんちく》が出來《でき》ないならば、世間《せけん》の殆《ほと》んど總《すべ》ての建築《けんちく》は悉《こと/″\》く眞正《しんせい
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