あります、その事は約翰傳第七章三十八節に我を信ずるものは聖書に記しし如く、其の腹より活る水川の如くに流れ出づべしといふ言葉があります、是れは耶蘇の言葉で、自分を信ずるものは聖書にある如く其の腹からして活きた水の川が流れ出るといふ事である、此に聖書に記すが如くとある以上には、何處か聖書の中に出て居らなければならぬ、所で古來の註釋家は舊約全書を非常に探したものであるが、舊約全書の中には斯ういふ言葉はない、既に人に向つて引用されて居る位であるから當時の人には能く知られて居つた書物でなければならぬ、が是れは果して何を指したものであるか、非常な疑問となつて居つた、所がエドモンドは、佛教の古い經文の中に此の句が出て居ると言ひ出した、佛教の經文には何とあるかといふに、斯うある、何をか如來二種の不可思議智となす如來は二種の不可思議事を行す、諸弟子の遠く及ばざる所、如來身體の上部よりしては火焔を發し、其の下部よりしては流水を生ずといふ事があるのです、即ち此の下部といふ所が腹に當つて、流水といふ所が活水の意味で全く同じ意味である、其の言葉も殆ど變つて居らん、だからして是れは聖書に記しし如くといふたので、ツ
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