想と密接な關係を有して居つて、修行者は禪定三昧に入つて、我を忘れてしまはなければならぬ、然うすると神變不可思議力を得、初めて解脱の境に入ることが出來るといふやうなことも説いて居るので、此等の點は全く印度の思想と同じである、それであるから印度の密教は印度を中心として起つて、東北はニポール、西藏、支那、日本にも渉り、西は亞拉比亞、小亞細亞からして歐羅巴全體に擴つたのである、實に密教、即ち印度の思想は世界の宗教に向つて多大の影響を與へた。
終りに耶蘇教と印度の宗教といふことに就て一つ言つて置かねばならぬことがあります、耶蘇教といつても、特に舊教の會堂へ御這入になつたお方は、直ぐに分るが舊教では日本の佛教(即ち北方佛教)と似寄つた儀式が中々ある、舊教の坊さんは珠數を以て居る、珠數といふものは印度が元であつて、西洋に傳はつたのは、十世紀以後の事であります、夫れからして前に申しました通り、カトリツクの坊さんは苦行をしたものである、其の他瑣細な點は今論じませぬが、近頃斯ういふ事を言つて居る學者がある、耶蘇教の經文の中に佛典の言葉を引いてある所があると、之をいひ出したのは英吉利人でエドモンドといふ人であります、その事は約翰傳第七章三十八節に我を信ずるものは聖書に記しし如く、其の腹より活る水川の如くに流れ出づべしといふ言葉があります、是れは耶蘇の言葉で、自分を信ずるものは聖書にある如く其の腹からして活きた水の川が流れ出るといふ事である、此に聖書に記すが如くとある以上には、何處か聖書の中に出て居らなければならぬ、所で古來の註釋家は舊約全書を非常に探したものであるが、舊約全書の中には斯ういふ言葉はない、既に人に向つて引用されて居る位であるから當時の人には能く知られて居つた書物でなければならぬ、が是れは果して何を指したものであるか、非常な疑問となつて居つた、所がエドモンドは、佛教の古い經文の中に此の句が出て居ると言ひ出した、佛教の經文には何とあるかといふに、斯うある、何をか如來二種の不可思議智となす如來は二種の不可思議事を行す、諸弟子の遠く及ばざる所、如來身體の上部よりしては火焔を發し、其の下部よりしては流水を生ずといふ事があるのです、即ち此の下部といふ所が腹に當つて、流水といふ所が活水の意味で全く同じ意味である、其の言葉も殆ど變つて居らん、だからして是れは聖書に記しし如くといふたので、ツマリ佛教の經文が約翰傳の出來た時既に西に傳はり、耶蘇教の學者の思想の中に加はつて、是れが聖書と考へらるる樣になつたのであらうといふのである、尚又約翰傳十二章三十四節に、人々彼れに答へて曰けるは我等律法にてキリストは窮りなく存者なりと聞きしに云々とあり、この律法といふのが矢張り分らぬ、所が是れも佛典の中に出て居るといふのである、果してさうであるとすれば實に不思議な事で、佛教の經文が聖書として耶蘇教のバイブルの中にも顯はれて居るといふ事になる、全體印度の思想の歐羅巴に傳はつたのは餘程古い事であらうと思ふ、紀元前一千年今から三千年許りも前に、象牙や孔雀や猿猴や栴檀などといふものがオピルといふ港から輸出された、而して是等のものには皆サンスクリツトが用ひられて居る、して見ると印度と西洋との間に於ては既に其時分からして交通の道が開けて居つたのであらう、波斯のタリユース王は北方印度を領して居つたが、其の時王の命令に因つて希臘人のスキラツキスなるものが、紀元前五百年頃に印度へ旅行したといふ事がある、歴史家の祖先ともいはるるヘロドタスの印度に關する智識は全く是れから得たものである、だからして五百年頃には印度の情況も西方へ知れて居つた、夫れから後になりますと、ストラボといふ人が―是れは紀元後一世紀の人であるが―此人の書いたものに、百二十艘許りの船が紅海からして印度の港へ往復して居つたのを見たといふ事がある、さうすると一世紀頃には百二十艘許りの船が、舳艫相啣んで彼處此處に航海をして居つたものと思はれる、是れに由つて見れば印度の思想が極古代からだん/\西の方へ傳はつて來たのも、敢て怪しむべき事はない、尚申上げたい事は澤山ありますが、餘り長くなりますから今回はこれでお仕舞と致します(拍手)。
底本:「叡山講演集」大阪朝日新聞社
1907(明治40)年11月10日初版発行
初出:「叡山講演集」大阪朝日新聞社
1907(明治40)年11月10日初版発行
※底本では本文は「(上)」と「(下)」に分けられ、「(上)」の題名の下に「八月三日講演」、「(下)」の題名の下に「八月四日講演」の表記があります。
※題名の次行に「[#ここから割り注]京都文科大學教授[#改行]文學博士[#ここで割り注終わり] 松本文三郎君」と著者名が表記されています。
※変体仮名と仮名の合字は、通常の仮名に書き
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