ると實に今やつて居る所と殆ど違はない、ドウ云ふことをやつたかと云ふに、先づ第一に書いてあるのは、二日三日四日五日乃至七日間も斷食をやるとか、或は食物に於ては果物或は野菜ものばかりを食つて居るとか、最も妙なのは牛糞を食とするとか、或は鹿糞ばかりを食用として居るものもある、又手を擧げるとか――是れには片手を高く上に擧ぐるものと兩手を擧げるものとある――是も長くやつて居るのは中々困難で後にはコワ張つて最早や手が下に下りぬやうになる、之を下す時には油のやうなものを塗つて摩擦して段々と下す、常態に復する迄には大抵三箇月を要するといふことである、又床には坐らないで始終踞つて居るものもあれば、荊棘の上に坐するものもある――是れは今でもやりますが今は刺でなくして釘の上に坐つて居たり、又は靴の中へ釘を打つて是を穿いて居る――或は裸體となつて牛糞の上に坐する――牛糞は元來印度人の非常に神聖なものと考ふる所で、穢い所を奇麗にするには牛糞を塗る、牛は大切な神獸であつて牛を殺す者は人を殺したよりも罪は重いのである――夫から又日中に三浴し或は一夜に三浴する――是は三遍水を浴びるので、印度には到る處に池のやうなタンクがあり、其の内へ這入つて水を浴びて居る、其水溜は又風呂塲ともなり洗濯塲ともなれば田の灌漑にも用ひられる、以上の行は佛時代にやつて居つた一例であります、今の苦行者も此等の方法は皆やつて居りますが、段々と新しい工夫を考へ何でも人のやれないやうなことをなすものもある、現時普通に行はるるものの二三を云へば、先づ五火の苦行があり、是れも昔からあつたものであるが、四方に薪を集めて火を燃やし自分は眞中に坐つて居る、其の坐つて居る前にモー一つ火を焚くこともあるが、又前の火だけは是れを止め苦行者が天の日を凝視して居ることもある、何れも五火となる、寒い所なら宜いが、印度のやうな熱帶地方での火攻めは中々容易なことではない、まだ不思議なのは木の枝から繩を下げて自分の胴を結はひて、そして斜になつて前方へ寄掛つて居つたり、或は片足で立つて居る、是時は片方の手で一足を上へ持ち擧げて居るのである、モツと不思議なのは木を三本[#木を三本組み合わせた図(fig46297_01.png)入る]斯う云ふ工合に寄せ、上から繩で足をクヽり附けて倒まに釣り下つて居つたり、又は太い鎖の長いやつを首の邊から身體全體に卷附けて立つて居
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