は少しもない、皆手細工で、小さい小屋に在つて手で以て遣つて居る、祖先傳來の技術である、祖先傳來で職を嗣いで居る技術と云ふものは、總て新しい意匠とか新奇な工夫をするといふことはない、併ながら昔から傳へて居る職を其儘に受繼いでやつて居るだけに、中々宜いものを作り出すことが出來る、然う云ふやうな譯で印度人は總ての方面に於て非常に昔を貴ぶ慣習が盛なのであります、茲に御話します印度の聖人と云ふことも唯それが宗教的方面に顯はれ出たに過ぎないのであります。
宗教的方面に於て印度人は昔から一種の不思議なる行をやる、而して其の行によつて一種不思議なる働を爲す、斯の如き行を爲し、又其不思議な働きを爲すものをば印度人は聖人と名づけ、非常に尊重して居るのであります、其の行と申しまするのは、日本では隨分昔から言傳もありますから、聞いただけでは左程珍らしいとも思はれませぬが、定即ち禪定に入ると云ふことであります、印度では何れの宗派に屬するものでも入定と云ふことは非常に大切な事と成つて居る、我が肉體が其の儘に神となり、若しくは神以上のものもとなり[#「ものもとなり」はママ]、神祕不可思議なる力を得ることが出來るといふ信仰によつて、彼等は皆禪定に入らんと努めるのであります、而して此の定に入ると云ふことに就て、茲に一の不思議なるお話があるのである。
是れは餘り遠い古の話ではありません、曾てハリダースと云ふ印度人が居りました、此の人は近代に於て印度の聖人と言はれ非常に一代の人に尊敬された人であります、其故は此人が他の人間より勝つて長く定に入ることが出來たからであります、是に就ては英吉利人を始め各國人も度々試驗をしたのでありますけれども、實際想像も及ばぬ不思議な行をやつた、といふのは彼は一週間、二週間、三週間、四週間の間も定に入る、然うするとマルで死人同樣に成つてしまふ、が一定の時期が來ると再び生返つて來る、定に入つて居る間はマルで死人同樣だが、一定の時期の後には段々復活し、暫くにして元の人間に返つて仕舞ふ、で英吉利人も餘りに不思議なることであると云ふので、非常な嚴重な監督を附けて試驗をした事が何回もある、又印度には多くの回教徒が入込んで居りますが、是れは印度教の敵であり、何かと云ふと惡樣に言ひ觸らさんとするのである、で回教徒も是れを疑ひまして試驗したことがある。
扨此のハリダースが定に入らんとするに當
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