も出來るが、歐羅巴のやうな温帶地方や、寒帶地方では出來ないので、矢張り氣候の關係が然らしむるのであらうと、併し是れは誤つて居る、一定の修業をやると何處でも出來る、必ずしも印度でなければならぬと云ふことはない、日本でも先日淨土宗の人に聞きましたが、新潟縣の某處には定に入る坊樣があつて、一週間ばかり堂塲に籠り、其間は飮まず食はず不動の状態で居る(素より呼吸はして居るであらうが)、斯樣な人が段々修業をすればハリダースのやうな事も出來るのであらう、又西洋人でも短い間ならば現に彼れと同樣なことを爲して居るものもある、であるから動植物の假死と行者の假死とは稍其趣を異にするやうである。
印度では昔からかう云ふ行をやつて居るので、西洋人が印度へ旅行して何よりも先づ以て驚いて居るのは常に入定の事である、誰でも是には驚かない者はない、第十七世紀頃に印度へ入込んだ佛蘭西の宣教師スミノーと云ふ人の旅行記の中にも、印度行者の爲す所(前の假死のこと)は、實に驚くべき現象であると紹介して居る、夫れから後印度へ來た宣教師は非常に澤山あるが、何れも其旅行記の中多少此行者の事を書いて居ないものはない、實に是を不思議な事として居る、斯の如く此入定の奇蹟は極古い時からあるのであるが、但し中には又山師的な者もある、印度では前にも述べた通り斯る行者は非常に尊敬され供養を受くるのであるから、多くの中には山師的に世人を欺き、財貨を得んと欲する者も居るのであるから、決して之を以て眞正の行者と混同してはならぬ、千八百九十六年歐羅巴ハンガリーの都ブタペストと云ふ所に萬國博覽會が開かれました、此時二人の印度人がやつて來て、前に述べた樣な行をやつて觀覽に供すると云ふことを言ひ觸らし、彼等は二週間定に入り其の間飮まず食はぬと揚言した、而して大きな硝子函を作つて二人の印度人は其中に這入込み、何處からでも見えるやうにして實驗をやらした、彼等は果して如何にも殊勝に坐つて少しも動かず物も食はない、之を觀るものは誠に不思議なことであると感じて大評判となつた、爲にブタペスト大學や、維納大學の教授の醫學者或は心理學者が實驗をしたが、只不思議なことであるといふのみで少しも要領を得なかつた、所が是は山師的の見世物であつて、硝子函の葢が内から取外しの出來るやうに作られてあつて、彼等は夜中人の靜まつて後竊に其の葢を押開けて外へ出で、菓子だの牛乳だ
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