体質をそのまゝ受けた私を、どうかして丈夫に育てあげたいとのご苦労も知らず、生れた家でわがまゝいつぱいの春江を羨み、家に帰つてからさへとき折りは、すねておみせしたり、ほんとに悪い私でございました。
 今度の結婚のことも、なにもえりにえつて流刑のひとの行く北海道くんだりまで追ひやらなくとも――などゝ、意地悪くそんな意味のこといふひともありましたのに、亡くなつたお父さまは以前から拓殖の志のあつた方だ、箱根の仙石原を開墾して楮の木を植ゑ初めなすつたり、鴨の宮の池を埋めて造田の計画をおたてなすつたりなすつた方だ。お父さまはおまへが北海道の開拓者の妻になれば、ご自分の志をつぐものとおよろこびなされるであらう。と、反対を押しきつてきつぱり今度のはなしをきめて下さつたお心も、今にしてはつきりうなづけるのでございます。
 こゝの春はむせるやうな生々したものでございます。お母さまにこの落葉松の緑玉を粉にしてふりかけたとしかみえぬ新芽をお目にかけたうございます。裏の原始林には夜の白々あけから、くろつぐみや山鳩がなき、見渡すかぎり山ぎはまで続く農場の耕地には作物がまかれました。とりいれの日の素晴しさを想ふだけでも胸がいつぱいになります。この広い耕地を十年十五年の後にはすつかり水田にする積りだと夫はもうしてをります。夫はまだまだ開墾して畑になつたゞけでは満足してゐないやうすです。只今はこちらでは水稲は殆ど作つてをりませんが、いまに風土に合つた稲の品種改良がされゝば、きつと、内地のやうな水田にして、北海道で使ふお米は北海道でまかなへるやうにしなければならないのだなどゝ、夢のみたいなことを考へてをります。ほんとにお父さまが丈夫だつたらどんなにかお気が合ひ、よいお話し相手であらうと思ひます。
 なにかくどくどゝ書いて大切なこと忘れるところでございました。どうぞお叱りにならないでおきゝ下さいまし。それは、あの箪笥を買ふために下さいました百五十円のお金、実は浩造さまの土地のことで、どうしてもお金が足りず夫も心配してをりましたので、さし上げることにいたしました。
 十勝の方の土地がなかなか道庁からの貸下げ許可がおりませんで、困つてをりますやさきに、雨龍と申しますところの本願寺所有の未開地が開放され、安く売りにでたのでございます。夫は、おまへの金は必ず返しお母さまのご丹誠の箪笥を買つてやるといひますが、私といたしましては、お母さまさへお許し下さいますのなら、箪笥なぞほしくはございません。私のせめてもの心づくしに、浩造さま方が十勝よりもずつと暖かで地味もよいといふ今度の開墾地を手に入れなされ、他日成功なさりさへすれば本望でございます。ものごとのほんとの意味、ほんとのよいことをお分りになるお母さまには、きつとよろこんでいたゞけるとおもひますので、私、かくさずおしらせいたすことにいたしました。ちよはもう他人の家のもの、それで勝手なことをいたしたとお腹立ちのございませぬやう、大変急なおはなしでしたのでお母さまにお問合せのひまもなく、このやうな大それたこと、ひとりぎめいたし、なにか心さわぎますけれど、どうぞお許しあそばして下さいませ。お母さまからいたゞいたお金でちよが日本の国土をひらくお手伝ひいたしたとおぼしめして、どうぞお叱りにならないで下さいまし。
 浩造さまも、おまきさまも、大そう感謝され、それはそれはご満足なご様子で、二三日うちに雨龍の開墾地にお入りになります。小浪がごいつしよに行くことにきまりました。おまきさまに、なにやかとお頼りもうしてゐましたので心細くなりますし、千鶴ちやんも可愛くなつてまいりましたのに急に淋しくなることでございませう。
 内地はもう青葉でございませうね。いまごろ、お庭のさつきがさかりのころ、あの赤い色や、庭石のたゝずまひ、かうしてゐても目にみえるやうです。北海道はこぶしの花が満開でございます。こちらでは、こぶしのことを四季桜と呼んでをります。桜は五月なかばを過ぎなければ咲かないさうでございます。そのかはり、梅も桃もりんごの花もみんないつしよに咲くのださうでそのみごとさがおもひやられます。
 梅雨になりますと、またお体のお具合お悪くなられはしまいかと案じられます。どうぞおいとひ遊して下さいませ。お兄さまくれぐれもお大切に。
 この手紙のご返事切にお待ち申してをります。
   五月二日[#地から1字上げ]ちよ
  母上さま



底本:「ふるさと文学館 第一巻 【北海道1[#「1」はローマ数字、1−13−21]】」ぎょうせい
   1993(平成5)年7月15日初版発行
底本の親本:「風の街」白都書房
   1946(昭和21)年
初出:「戦時女性 6」
   1944(昭和19)年
入力:鈴木厚司
校正:noriko saito
2007年4月4
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